学問を科学にする三要件

「日本の唯物論者」の中で著者の三枝博音は学問を科学にする三つの要件をあげている。

第一は人民大衆である。大衆に触れさせない。大衆に秘密になっている。大衆の幸福と生活が考えられていない。このような学問は科学とはいえない。

儒家の一人の言

「学問は王家の嘉謀なり」(つまり人民を支配する道具である)

これでは学問は科学にはなりえない。

第二は自然である。これは三浦梅園の言葉が当を得ている。

第三が確実性である。言い切ることができることである。

これには自然の対象を孤立系(空間的にも時間的にも限定されたもの)と見なして見る視点が重要になる。この視点が個別科学の発展を促し、法則性(つまり言い切る)の発見を促したと考えられる。東洋の学問は関連性に重点を置いた(たとえば、大宇宙と小宇宙(人体)との対応関連、これは最たるものであるが)ことと対照的である。