「相馬(そうま)」という地名

今朝りんごを食べようとしたらその「しなのゴールド」にラベルが貼ってあり「青森県産JA相馬村」と書いてあった。福島県の相馬以外にも「相馬」という地名があることが面白い。

「相馬」とは、馬市で市場で競りに掛けられた馬のコンディションを観ることで、相馬はそのような場所であったと思われる。

青森県の相馬村は弘前市に隣接した村であった。現在は弘前市の一部である。

WEBで「相馬」を検索すると、福島と青森以外に茨城と千葉にまたがる下総国・相馬郡という地名があったことがわかる。常陸を支配した相馬氏が下総の千葉氏の後裔であることを考えると、この相馬と福島の相馬とは何か繋がりあるのかもしれない。

 

 

馬頭観音と蒼前(そうぜん)駒形明神

馬頭観音と蒼前(そうぜん)駒形明神の双方とも今では馬の守り神とされているが。

馬頭観音は馬の頭部を頭に頂く観音であり、十一面観音や千手観音などと同じ密教の異形の観音の一つである。「陀羅尼経集」なかにも説いている観音で奈良時代ごろにはわが国に知られるようになったといわれている。この観音像の作例はすくなく本来は馬の守り神という特殊な性格は持っていなかったが、近世になるとなぜか馬の守り神と思われるようになった。

一方、蒼前(そうぜん)駒形明神は「蒼前さん」とも呼ばれ、特に馬産が盛んであった東北地方で信仰を集めた馬の守り神である。起源ははっきりしないが、遅くとも中世にはあったようである。

例えば遠野地方の蒼前さんについて、郷土史家の菊地幹氏は以下のように書いている:

「これは馬の安全を祈ることから生まれた信仰で、旧正月十六日と旧四月八日の例祭日には近郊近在はもちろん遠くの村々から馬産を志す人々でにぎわった。…. 参拝者は社務所でお守りの笹の葉をいただき帰路についた。まさに人と馬と神とをつなぐ祭りであった。」

この馬を曳いて蒼前さんに参拝する様子が「チャグチャグ馬っこ」の原型である。

 

津軽半島三厩村(みんまやむら)

この面白い名前の村は津軽半島の先端、龍飛岬にあった。「あった」というのは現在ではない。合併でこの村名は消滅した。

三厩村(みんまやむら)は三つの厩(うまや)と書くが、義経伝説に由来する。東北へと逃れた源義経が岩窟にいた3頭の駿馬を得て北海道へ渡ったという伝説である。ここには義経寺もある。

道産子(どさんこ)と「だんづけ」

新日本風土記「津軽海峡」を見ていたら道産子の話題があった。道産子は12-14世紀に南部馬が船で北海道に連れてこられた馬たちの後裔である。林業で山から木を運ぶ作業に使われてきた。道産子は小さいが足腰が強く粗悪な道でもしっかり歩くことができる。ばん馬の力強さにはかなわないが、このような運搬作業は道産子でないとだめだというはなし。

番組では道産子の背に沢山の丸太を括りつけで運ぶ作業をしていたが、沢山の丸太を綱一本で括る「名人芸」が紹介されていた。それが「だんづけ」と言われるものである。しかも丸太が馬体を傷つけないように丸太が馬体から浮いている。なかなかの技である。

ダラ・ホースと八幡馬(やわたうま)

手元にわりと立派な馬の民芸品が二体ある。ダラ・ホースと八幡馬(やわたうま)である。写真はここ。

ダラ・ホース(右)と八幡馬(左)

ダラ・ホース

このブログでも紹介したことがある。スエーデンの民芸品で、”幸福を呼び込む”馬として知られているものである。現地には巨大なダラ・ホースの立像がある。

八幡馬(やわたうま)

八戸の民芸品である。南部一の宮「櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)」の例祭の社前で、参詣者のおみやげとして木彫りの馬の玩具が売られるようになったのが始まりの由。この神社の所在地が「八幡〜やわた」と呼ばれる事から「八幡の神社で売られている馬っ子」で八幡馬と呼ばれるようになった。三春駒、木下駒と共に日本三駒と呼ぶそうである。全てが東北地方であることが面白い。

レヴァードする奇跡の騎馬像

騎馬像でレヴァードの姿勢をした騎馬像もある。このブログでも以前紹介した。ウイーンのヘルデンプラッツ(Heldenplatz)にたっているサヴォイ(Savoy)のユージン皇太子(Prince Eugene)の騎馬像である。ところでこのヘルデンプラッツにはもう一つの騎馬像がある。それはカール大公の騎馬像である。これは奇跡の騎馬像と呼ばれている。理由はこの記事を参照していほしい。

レオナルド・ダ・ヴィンチのスフォルツァ騎馬像でも触れたが、レヴァード(両前肢を空中にして両後肢のみで馬体を支える馬術演技)の姿勢の騎馬像は制作が大変に難しい。特に騎馬像が大きくなり重量が増すと困難を極める。スフォルツァ騎馬像は高さは7.2メートル、青銅の重さは72.5トン。これはさすがに無理。

記事によればカール大公の奇跡のレヴァードする騎馬像を制作したのはアントン・ドミニク・フォン・フェルンコルンという彫刻家で、この成功によって次のユージン皇太子のレヴァードする騎馬像を制作することになった。しかし今回はうまく行かず発狂してしまった。弟子は両後肢と尾の三点で立つ騎馬像にして完成させたという。多分後者の騎馬像は前者に比べ重量があったのであろう。この彫刻家は正に重圧に負けてしまったわけだ。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ:トルヴルツィオ騎馬像

田中英道著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」によればレオナルドは晩年になってトルヴルツィオ騎馬像をつくるための準備のデッサンを残している。また手稿のなかで

「トロット(速歩)は自由なウマのほとんどの特質をそなえている」

と述べている。これはどんな意味か?トロットしている騎馬像を意味しているのか?

トロットしている騎馬像としてよく引用されるのがこの騎馬像であるが、これがトロットだろうか?

実際のウマのトロットの動画がある。また理想的なウマの速歩の歩みの静止画も載せる:

トロット
トロット。Balancing Act(G.Heuschmann)より

側対の前肢と後肢が平行になっていることに注意。

これらを比較すると騎馬像のトロットは前肢の動きが誇大に強調されているように思える。

ウマはホース(35):ペルビアン・パソ

南米ペルーのウマである。独特の四節の歩様で走る。動画が面白い。

ペルビアン・パソは前回紹介したクリオロと共通の祖先によることが分っている。このウマはパソ・ラノという名称で知られている独特な肢を横に蹴り出すような四節で走り、特異な体型をしてる。

このウマの品種改良はこのパソ・ラノという歩様を完成させる方向でなられている。パソ・ラノの動作では前肢を円を描くように活発に動かし、後肢はこの動きを強力にサポートする。そのため馬体の後半部を低く構える。

この品種は大変に強靭である。後肢および繋は長く、関節はことのほか柔軟である。これらの要素がことウマの歩様の快適さに貢献している。

ウマはホース(34):クリオロ

南米の馬を紹介する。最初はアルゼンチン原産のクリオロ(Criollo)である。画像はここにある。

アルゼンチン原産であるが、少し異なった体型と異なった名前で南米大陸全体に生息している。例えばブラジルではCrioula Brazileiroの名前を持っている。アルゼンチンにおいてはクリオロはパンパスで働くカーボーイ、ガウチョ(Gaucho)にとっては不可欠な乗り物であり、アルゼンチンで有名なポロ・ポニーの進化で重要な役割を果たしている。

クリオロは16世紀に南米にもたらされたスペインウマの系統を基礎としている。それらの馬は忍耐強いバーブ種の血を持っていた。目立った最初の輸入は1555年にブエノスディアスの建設者であるDon Pedro Mendozaによってなされた。その後原住民のこの都市への侵入で、これらの馬は広範囲に四散し野生となった。

クリオロはスペイン馬を祖先とする仲間に共通の特質である堅牢さや従順さでは世界一のウマである。過酷な環境で最低の食料で生きることができる。また耐久競技では信じ難い力を発揮し、長寿であることも特質である。