Horses no slouches with emotions(馬は情感豊かである)

表題のタイトルはNewscientistのNewsLetterの一つである(原文はここ)。このブログでも以前に馬はヒトの表情を理解しているかという実験の話をした。その実験に関連したレターである。

著者は馬はヒトが示す各種のボディーランゲージを理解していると述べている。例えば、馬が間違ってヒトの足を踏んづけてしまったとき、「ごめん」という以外に表現しようのない表情を浮かべるという。

また子どものころの経験を述べている。ドライブ・インの映画場で”National Velvet”という映画が上演された。この映画場の近くの馬場から馬に乗ってきた人々がいたそうである。馬は映画に無関心であったが、映画が競馬のシーンになるとその馬たちは大興奮で嘶いたり、足踏みを始めた。観客は映画はそっちのけで本物の馬たちに見入っていたという。

Shire(シャイヤー)というウマたち

、以前のブログでShire(シャイヤー)を紹介した。普通名詞のshireを辞書で引くと「州」と出てくる。もう一つ意味として、‐shire を語尾とする)イングランド中部諸州とある。
都市名でみると、リンカン (Lincoln) は、イングランド東部のシティかつバラで、リンカンシャーの州都、レスター(Leicester)は、レスターシャーの単一自治体、スタッフォードStafford)は、イングランドのスタッフォードシャーにあるタウン、ダービーDerby)は、イングランド中部ダービーシャーの行政中心地。イングランドの中部にある州である。この地方で生産された重量馬がShireである。

神田日勝(かんだにっしょう)の「馬」

神田日勝(かんだにっしょう)という夭折の画家がいた。名前は以前から知っていたが、かれの絶筆となった作品が「馬」という題名の作品である。

昨日の新聞に「大地への筆触」というタイトルで回顧展の記事が載った。かれの父親が拓北農民隊として家族で北海道に疎開、1945年に十勝平野、鹿追村で暮らし始めた。かれは農業を引き継ぎ、傍ら絵を描き始める。しかし1970年には体調不良、32歳の若さで他界した。

かれの遺作の「馬」という作品がある。この作品以外にもウマをテーマにした作品があるが、この遺作の「馬」が画家と馬の精神的距離が一番近いように思われる作品である。

 

ウイニーの大音響を実感する

今日のお昼休み(馬休の時間でもあった)に洗い場で一頭だけ残されしまった馬が盛んに嘶いていた。この馬の音声はウイニーと呼ばれている。以前にも馬の四種の音声を話題にしたことがあるが、ウイニーが最も大きな音で自分の存在を他の馬たちに知らせるときなどに使う。今日は「早く馬房に帰りたい」と指導員に向かって鳴いていたのである。

ふと他の馬たちは誰が鳴いているのか分るのであろうかという疑問がわいた。それにしても大音響であったのが面白かった。

「相馬(そうま)」という地名

今朝りんごを食べようとしたらその「しなのゴールド」にラベルが貼ってあり「青森県産JA相馬村」と書いてあった。福島県の相馬以外にも「相馬」という地名があることが面白い。

「相馬」とは、馬市で市場で競りに掛けられた馬のコンディションを観ることで、相馬はそのような場所であったと思われる。

青森県の相馬村は弘前市に隣接した村であった。現在は弘前市の一部である。

WEBで「相馬」を検索すると、福島と青森以外に茨城と千葉にまたがる下総国・相馬郡という地名があったことがわかる。常陸を支配した相馬氏が下総の千葉氏の後裔であることを考えると、この相馬と福島の相馬とは何か繋がりあるのかもしれない。

 

 

馬頭観音と蒼前(そうぜん)駒形明神

馬頭観音と蒼前(そうぜん)駒形明神の双方とも今では馬の守り神とされているが。

馬頭観音は馬の頭部を頭に頂く観音であり、十一面観音や千手観音などと同じ密教の異形の観音の一つである。「陀羅尼経集」なかにも説いている観音で奈良時代ごろにはわが国に知られるようになったといわれている。この観音像の作例はすくなく本来は馬の守り神という特殊な性格は持っていなかったが、近世になるとなぜか馬の守り神と思われるようになった。

一方、蒼前(そうぜん)駒形明神は「蒼前さん」とも呼ばれ、特に馬産が盛んであった東北地方で信仰を集めた馬の守り神である。起源ははっきりしないが、遅くとも中世にはあったようである。

例えば遠野地方の蒼前さんについて、郷土史家の菊地幹氏は以下のように書いている:

「これは馬の安全を祈ることから生まれた信仰で、旧正月十六日と旧四月八日の例祭日には近郊近在はもちろん遠くの村々から馬産を志す人々でにぎわった。…. 参拝者は社務所でお守りの笹の葉をいただき帰路についた。まさに人と馬と神とをつなぐ祭りであった。」

この馬を曳いて蒼前さんに参拝する様子が「チャグチャグ馬っこ」の原型である。

 

津軽半島三厩村(みんまやむら)

この面白い名前の村は津軽半島の先端、龍飛岬にあった。「あった」というのは現在ではない。合併でこの村名は消滅した。

三厩村(みんまやむら)は三つの厩(うまや)と書くが、義経伝説に由来する。東北へと逃れた源義経が岩窟にいた3頭の駿馬を得て北海道へ渡ったという伝説である。ここには義経寺もある。

道産子(どさんこ)と「だんづけ」

新日本風土記「津軽海峡」を見ていたら道産子の話題があった。道産子は12-14世紀に南部馬が船で北海道に連れてこられた馬たちの後裔である。林業で山から木を運ぶ作業に使われてきた。道産子は小さいが足腰が強く粗悪な道でもしっかり歩くことができる。ばん馬の力強さにはかなわないが、このような運搬作業は道産子でないとだめだというはなし。

番組では道産子の背に沢山の丸太を括りつけで運ぶ作業をしていたが、沢山の丸太を綱一本で括る「名人芸」が紹介されていた。それが「だんづけ」と言われるものである。しかも丸太が馬体を傷つけないように丸太が馬体から浮いている。なかなかの技である。

ダラ・ホースと八幡馬(やわたうま)

手元にわりと立派な馬の民芸品が二体ある。ダラ・ホースと八幡馬(やわたうま)である。写真はここ。

ダラ・ホース(右)と八幡馬(左)

ダラ・ホース

このブログでも紹介したことがある。スエーデンの民芸品で、”幸福を呼び込む”馬として知られているものである。現地には巨大なダラ・ホースの立像がある。

八幡馬(やわたうま)

八戸の民芸品である。南部一の宮「櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)」の例祭の社前で、参詣者のおみやげとして木彫りの馬の玩具が売られるようになったのが始まりの由。この神社の所在地が「八幡〜やわた」と呼ばれる事から「八幡の神社で売られている馬っ子」で八幡馬と呼ばれるようになった。三春駒、木下駒と共に日本三駒と呼ぶそうである。全てが東北地方であることが面白い。