「日本の唯物論者」の中で著者の三枝博音は近世の日本で唯物論を準備した人々を紹介している。そのトップがかいばら・えっけん(貝原益軒)である。唯物論としているが、これはヨーロッパの学問の方法論を準備した人々といってもよい。
益軒には「大疑録」という著述がある。その中で「形而上と形而下とを論ず」という一節がり、当時の朱子学の批判を展開している。「陰陽は地上のものとしている。これはおかしい。」地上にあるものは益軒にとっては技術の対象であり、観念的なものではなかった。天上にあるもののみが「陰陽が象をなしている」のである。
益軒は『大和本草』(二十五巻)などの実学的な著作があり、地上のもの対して博物学的な知識を体系化していおり、地上にあるものは観念的な対象でなく技術の対象であった。ここにものに即した学問の萌芽が認められる。