Cosmos・Universeとしての「宇宙」

CosmosやUniverseの訳語としての「宇宙」がいつごろから使われはじめたのか考えてみた。

「宇宙」という漢字が存在したのはかなり古い時代からだ。広辞苑によれば「宇宙」の項で「淮南子の斉俗訓によれば、『宇』は天地四方、『宙』は古往今来の意。」とある。「宇宙」という漢字は中国古代で既に使われていたことになる。

一方ヨーロッパの学問に現代的なCosmosやUniverseが登場したはいつ頃のことだろうか?ジョルダーノ・ブルーノの「無限、宇宙及び諸世界について」の16世紀あたりだと思う。彼は宇宙の無限性を強く意識していて、思弁的ではあるが現代宇宙論につながるところがある。彼はコペルニクスの1世紀ばかり後の人である。

コペルニクスの地動説を我が国に紹介したのは志筑忠雄(しづきただお)の「暦象新書」であり、18世紀の終わりのころである。また地動説の普及に貢献した司馬江漢の「和蘭天説」がある。これは寛政8年(1796)の刊行である。そこに描かれている地動説の図には一番外側に「恒星天」が描かれている。

この「恒星天」がどこまで拡がっているのだろうか、と疑問を持った時に「宇宙」という言葉が出てくるように思われる。それは明治以降のことかもしれない。

 

 

アファナシェヴォ文化と天山北路

アファナシェヴォ文化は西紀元前3000年ごろアルタイ山脈の南部分の西側で起きた文化である。このアファナシェヴォ文化はユーラシア大陸全体を覆うようなヤムナヤ文化の地方版であった。

ヤムナヤ文化はヴォルガ・ドン川下流域のステップで始まったがヤムナヤの人々は「ウマ」と「ワゴン」を使って3000kmも離れたアルタイ山脈の西側麓まで移住しアファナシェヴォ文化をうち立てた。ヤムナヤの人々のこの活動性がインド・ヨーロッパ語族の誕生に繋がったとされている。アファナシェヴォ文化はインド・ヨーロッパ語族のトカラ語派の故地である。

「シルクロード 1万5000キロを往く」(今村遼平ら編著)で天山北路として著者たちが旅したところのウルムチ(烏魯木斉)より北はこのアファナシェヴォ文化にすっぽりと覆われていたところである。文明の黎明期からずっと続いてきた歴史を感ずる。

 

 

「汗血馬」と天山北路

三国志の呂布や関羽が乗っていた馬が「汗血馬」である。一日で千里を走ると言われていた名馬であった。その生産地は前漢(西紀元前100年ごろ)の烏孫(うそん)国であった。天山北路の昭蘇平原もその国に含まれていた。「シルクロード 1万5000キロを往く」(今村遼平ら編著)によれば現在の昭蘇平原もウマが沢山飼育されているという。

一概にウマといってもウマ(Equus)は四つのタイプに分類されている。体高の違いで「ホース」と「ポニー」に分類される。さらにこの「ホース」も「ポニー」も二つに分類される(ポニーのタイプ1、ポニーのタイプ2、ホースのタイプ3、ホースのタイプ4)。ホースのタイプ4は西アジアから広まったものでアラブウマがその典型であり、サラブレットもここに入る。ホースのタイプ3は中央アジアから広まったもので、Akhal-TekeやCaspianといった現生品種がこのタイプのウマである。

生産地域から見て「汗血馬」はホースのタイプ3であったと思われる。このタイプのウマは体毛が薄い。汗をかくと血管が浮き出て赤く見えたので「汗血馬」と言われた。こんな説はどうだろうか?

吐魯蕃(トルファン)の「カレーズ」とペルシアの「カナート」

ペルシアの「カナート」はカナート:古代ペルシアにおける伝統的な水利として以前触れた。同じような水利システムが吐魯蕃にある。こちらの方は「カレーズ」と言い、「シルクロード 1万5000キロを往く」(今村遼平ら編著)で詳しく紹介されている。

吐魯蕃は天山山脈南東にあり著しい乾燥地帯であるがこの山脈からの豊富な水が伏流水として流れている。この地下を流れる水を独特の地下水路で飲料水、農業用灌漑水として供給するシステムが「カレーズ」である。地下水路は所々に垂直の竪坑があり地上と繋がっている。この様子はペルシアの「カナート」と全く同じである。

ペルシアの「カナート」は西紀元前700年ごろに始まったとされているから吐魯蕃の「カレーズ」より古いと思われるが、シルクロード上の技術の伝播の一例として面白い話である。