xubuntuで画面ロックの設定時間を変更

xubuntuで作業をしていると頻繁に画面ロックに遭遇する。特にマルチモニターで作業をしているときに画面ロックに遭遇するとその解除がとても煩わしい。

設定マネージャに電源管理の項目があるので、それかなと思ってそれらしい設定に変更しても全く変化がない。どうやら電源管理のこの画面からは変更ができないようだ。

設定方法はここにある。以下のコマンドを端末から入力する(一般ユーザのままでよい):

/usr/bin/xset s 0; /usr/bin/xset s off -dpms

これで画面ロックは起こらない。

デフォルトの10分後の画面ロックの設定に戻すには以下を入力する:

/usr/bin/xset s on +dpms; /usr/bin/xset s 600

xubuntuに辞書環境を整える

ランダムハウス英語辞典のEPWING化の顛末はここで述べた。

改めて周りを整理してみたら研究社「新英和・和英中辞典(EPWING版)」が見つかった。早速辞書検索ソフトEBViewで眺めてみた。ランダムハウス英語辞典に比べると単語の総数や各単語の説明が少ないがなんとか使えそう。

ランダムハウス英語辞典をコマンドラインから検索するプログラムがあることがわかり使ってみる。このプログラムはcsrdで作者は太田純さんでソースはここからダウンロードできる。

このプログラムは画像は表示できないが、単語の検索機能は極めて充実していて気に入っている。たまたま作者が動作確認のために使ったランダムハウス英語辞典CDROMのヴァージョンが僕の手元にあるものと同じであることも幸いであった(CDROMのヴァージョンによってバグの様子が異なるらしい)。作者に感謝したい。

 

「ランダムハウス英語辞典」環境の引っ越し

翻訳の作業で大変に重宝しているランダムハウス英語辞典をxubuntuでも使える環境にしたいと思い作業をしている。

辞書がEPWING互換形式になっていると話は簡単であるが、手元にあるランダムハウス英語辞典は第1版で不幸にして独自形式(第2版はEPWING互換形式?)である。

この辞典はwindows98時代に購入したもので付属の検索ソフトもwin10では使えずwin10ではシェアウエアlogophilを使っていた。翻訳には不可欠の辞書だ。

辞書がEPWING互換形式になっているとxubuntuで使える検索ソフトはたくさんある。

FreePWING による JIS X 4081 版『ランダムハウス英語辞典』というサイトがあり、独自形式をEPWING互換形式に変換できる。早速試してみた。

必要な準備は上のサイトに詳しく述べられている。

  • FreePWINGをインストールするとfpwmakeコマンドが使えるようになる。
  • srd-fpwパッケージを展開するとfpwmakeに使うMakefileやそれにオプションを与えるsrd-fpw.confファイルが得られる。
  • ここにディレクトリ名sourceをつくりランダムハウス英語辞典CD-ROMのデータをコピーする。
  • srd-fpw.confファイルを編集する(あまり変更するところはない)。
  • このMakefileがあるディレクトリでfpwmakeを実行する。
  • この際に環境変数$PERL5LIBにsrd-fpw.confファウルがあるディレクトリ名を追加しておく。さもないとsrd-fpw.confが見つからないと怒られる。
  • 順調にaから変換が始まる。
  • 途中で止まる。単語ijmaのところである。この単語はアラビア語由来の言葉でwin10でみても和文の表示が少しおかしい。止まったときのメッセージは以下のようなものである。
87479: ijma [T8562300]
[<アラビア語 <I><G0></G0><G1>#9f#</G1>‘]
fpwsrd: modifier not teminated before newline
gmake: *** [fpwutils.mk:340: work/parse.dep] ����255

残念であるが作業はここで止めた。また時間のとれるときに再開したい。

雨の日の柏葉紫陽花

近くの鈴木さんちの柏葉紫陽花が綺麗に咲いていたので雨になかだったがカメラに収めた。普通に紫陽花は今少しといったところ。

柏葉紫陽花
紫陽花

古墳時代後期の馬具の出土分布

日本の古墳時代後期の古墳から多くの馬具が出土する。この事実をもつに江上波夫は「騎馬民族国家」でこの時代に大陸から騎馬民族が日本にきて先住民に代わって日本の支配者になったという仮説を提唱している。

古墳時代後期の古墳からの馬具の出土には大きな地方的な偏りが見られる。「馬・船・常民」(網野善彦・森紘一著)によればそれは関東以北が圧倒的に多い。特に関東平野に特徴的である。これらの馬具を使って馬に乗っていた人々は誰だったのか?著者たちはそれろの人々は朝鮮半島から来た人々だ述べている。距離的には朝鮮半島ならば九州などの方がずっと近いが、なぜ関東平野なのかも面白い。

馬に乗った人々が関東より以北に沢山いたということは地方的に限定されたところに住み着いていたということを示唆し、これらの人々が当時の日本の支配者層であったとは考えにくい。やはり当時の支配者層は関東以南にいたのであろう。馬に乗っていた人々(高句麗から来たの考えられている)と当時の支配者層との関係はどんなだったのであろうか?支配者層に許されて関東以北の豪族として住み着いていたのだろうか?それとも敵対する勢力であったのであろうか?

また朝鮮の高句麗で何が起きたことで日本の移住しようとした人々が増えたのであろうか?