乗馬の習慣は紀元前3000年ごろから始まるがこれはヒツジ(ヤギ)やウシそしてウマの遊牧農業を効率よく管理するためのものものであった。部族間の衝突にもウマに乗った戦士が登場する機会があったかもしれないがそんなに組織だったものではなかった。
一方スキタイなど紀元前1000年ごろおきた騎馬民族は騎兵による軍隊組織を持っていた。自らは生産組織をもたず、この軍隊組織による略奪によって大きくなっていった。言わば寄生国家であった。
この間に乗馬に関して何がおこったのか考えてみたい。
騎馬遊牧民が生きた時代は「青銅器時代」であり、「騎馬民族」は鉄器時代」である。軍隊組織としての騎馬隊の武器は弓矢である。青銅器時代の矢じりは石や鋳造された青銅矢じりであったがその柄は空洞になっていなく矢の軸に取り付けるためには軸を割いてそこに矢じりをはさみ紐などで固定する方式をとった。これでは強い矢は作れない。一方鉄の矢じりは鋳造でしかも柄は空洞であり鏃で茎(軸)を包むようにでき、強力な矢だできた。しかも量産の規格化された矢が作られた。弓にも進化があった。騎馬遊牧民時代の弓は1メートルから1.5メートルの長さがり馬上で扱う上では不便であった。鉄器時代になるともっとコンパクトな複合弓(キューピットの弓)が作られるようになり、馬上で効果的に弓矢を扱えるようになった。これらの武器から見た変化である。
一方イデオロギーの変化も必要であった。軍隊組織のなかの騎兵は「一将、功成って万骨枯る」のように消耗品であった。これはそれ以前の英雄時代の騎兵とは精神の面でちがっている。この転回を可能にしたものは強力な王権なのかもしれない。