「日本の唯物論者」の中で著者の三枝博音は第二の人物としておぎゅう・そらい(荻生徂徠)を取り上げている。
荻生徂徠は二つの点で唯物論の萌芽が見られとしている。
第一は理論性の徹底である。
例えば当時の暦であった授時暦(じゅじれき)を批判して
「実験(推論)に基づくというが、それは三、四十年くらいしかないではないか、これでは私たちは信頼できない。」と述べ、理論的な裏づけ(惑星の運動、太陽系のモデル)を要求している。
第二は技術の重視である。
「理で考えていくのは宋の儒者が始めた。理をつかむ基礎ができていない。だから理にとどまっている。」と「理」の哲学を批判している。いったいのものは多くの理が集まっているところのものである。人はこのものに親しんでいるとそのものの理がわかろようになる。
また「後代の儒者は技術ということを軽蔑して言わないようになった。これでは本当の学問にならない。」と批判している。