ウマはホース(1):プルジェヴァリスキー・ホース

ホースの初めは現生のウマの祖先と考えられているプルジェヴァリスキー(przewasky)・ホースを取り上げる。

現生のウマの全ては氷河期を生き抜いた四系統の祖先ウマの後裔である。それらは「ターパン」、「ツンドラウマ」「森林ウマ」そして「プルジェヴァリスキー・ウマ」であるが、これらの祖先ウマで現生しているものは「「プルジェヴァリスキー・ウマ」のみである。

このウマの名前はこのウマの群れを1881年にモンゴルで発見したポーランドの探検家ニコライ・ミハイロヴィチ・プルジェヴァリスキーに因んで付けられた。そこはゴミ砂漠の縁にあたるTachin Schah山脈(黄色い馬の山脈)の地域であった。

プルジェヴァリスキー・ウマは気性が荒く、野生的でそして独特なウマであり、家畜化されたウマでは持っていない特性を持っている。例えば家畜ウマの染色体は64本に対してプルジェヴァリスキー・ウマは66本である。たてがみは垂直に立ってり、毛並みは肢は黒いが体色は灰色である。

画像はここ

 

「わが馬、わが師」(アロイス・ポジャイスキー著)

アロイス・ポジャイスキー(Alois Podhajsky)はスペイン乗馬学校の所長をも勤めた高名な乗馬家である。著書には

  • My Dancing White Horses
  • The Complete Training of Horse and Rider
  • My Horses, My Teachers

がある。「わが馬、わが師」(My Horses, My Teachers)が面白い。

「はじめに」の出だしはこうだ:

友人やホースマンの勧めもあって、独自なスタイルで易しく理解でき、しかもその気になれば実践にも役立つ乗馬の教則を纏めてみようと決心した。その教則は学問的でもなく、厳密に組織立ったものでもない。従ってこれから乗馬の教則を教える人たち(勿論彼らは馬と違って言葉を使って)にとっては、ここでのアプローチはあまり印象深くはないかもしれない。つまり、ここでは私が出会った馬たちの話をしたいのだ。私の長い人生経験で出会った馬たちが私に教えてくれたことを話したいのである。そしてこの馬たちを私の最も誠実なインストラクタとして読者に紹介したいということである。

ウマの家畜化は幸運の産物?(5)

ウマの家畜化が何時ごろ起きたのか?

前回は先史時代の遺跡から発掘されたウマの骨の統計的な特性から家畜化された時期を推定した例を紹介した。この方法は特性の解釈に曖昧さがあり信頼が薄い。

ウマの歯にハミによる磨耗痕の有無を調べウマに騎乗すると習慣が始まった時期を特定しようとする研究がある。ウマへの騎乗する習慣はウマの性格をよく観察できる環境が必要でウマの家畜化があって初めて可能であろう。この意味でウマに騎乗する習慣とウマの家畜化は緊密に関係していると思われる。

金属のハミであり、ロープや革のハミであれ、ハミはウマの歯に磨耗痕を残す。ウマの下顎の前臼歯の第二歯(この歯はウマの口角の位置に対応すると思う)にその痕跡が残る。

現生のウマで実験をしてみる。全くハミをした経験がないウマの下顎の前臼歯の第二歯とハミを日常的にしているウマのそれを比較する。

ウマの下顎の前臼歯の第二歯
ウマの下顎の前臼歯の第二歯

上図は現生ウマたちの下顎の前臼歯の第二歯上のハミによる磨耗痕があるばあいと無いばあいの前臼歯の第二歯。写真は走査電子顕微鏡(SEM)で見たもの。
左:金属ハミ噛んでいた家畜ウマの第一歯尖上の「a型」磨耗痕を13倍の倍率でみたSEM画像。歯の半面像は同じ歯尖に3.5mmの斜面または摩滅面があることを示している。
右:ハミを噛んだことがないネヴァダの野生ウマの第一歯尖の平らな面を15倍の倍率でみたSEM画像。歯の半面像は斜面のない90度を示している。

 

スコットランド人と馬

サミエル・ジョンソンの英語辞典の「カラス麦」の項目で以下のような定義がある:

「イングランドでは馬が食べるが、スコットランドでは人間が食べる」。

すると弟子のジェームス・ブズウェルは

「だから、イングランドでは馬がすぐれ、スコットランドでは人間がすぐれている」

と。面白い。

多様なポニーたち(14):ファラベラ

ポニーの最終回はファラベラ(Falabella)。これはポニーというよりミニチュア・ホースである。画像はここ

小型ウマの誕生の自然的な理由は環境であり、乏しい食料とともに厳しい自然条件である。しかしミニチュア・ホースまたは非常に巨大なウマを意図的に創ることも可能である。ミニチュア・ホースはペットとしてまた希少価値があるものとして歴史を通じて育成されてきた。そのよい例がこのファラベラである。

ファラベラはブエノスアイレ(アルゼンチン)の郊外にあるRecreo de Roca牧場でこの品種の改良をしたファラベラ家に由来する。かれらは最小のシェトランドと極小型のサラブレットを交配し、つまり意図的に最小の動物を交配し、近親交配を繰り返した。その目的はほぼ完全な姿でウマのミニチュアを創ることであった。しかし近親交配は体型上の欠陥や活力の喪失を招いた。

「おもち」の子馬は「きなこ」

今日(2019/05/18)の河北新報の朝刊に子馬「きなこ」の誕生の記事が載った。仙台・海岸公園の乗馬クラブの乗馬場は2011/3/11の大震災の際の津波で流失し、その際に19頭のウマが犠牲になった。この4月には再建された乗馬場がオープンしたばかり。そこの「おもち」という葦毛の牝ウマに牡の子馬が誕生した。命名された名前が「きなこ」。葦毛に栗毛がパッチ状に入っているので「きなこ」。

画像はここ

多様なポニーたち(13):ガリチェーノ

今回のポニーはメキシコのガリチェーノ(Galiceno)。画像はここ

メキシコのガリチェーノはアメリカ大陸におけるスペインの遺物の一例である。1950年代以降ガリチェーノは米国に向かって北上し1958年には正式に一品種として認定された。ガリチェーノはポニーからホースへ騎乗するウマを換える時期にある年少の騎乗者の「移行期」のウマとして理想的である。

ガリチェーノは北西スペインのガリシア(Galicia)で組織的な飼育が始まり、その地名が品種名になった。ヨーロッパ中でガリチェーノは最初からこの歩様が滑らかなことで有名だった。現生ガリチェーノも速い競歩常歩が特徴的でエリザベス朝イングランドで名声を取った。この小柄なウマの祖先は16世紀にインド亜大陸の西からスペイン人によってもたらされたと思われる、一方これらはイベリア半島の在来種であるソーライアやガラーノの後裔であるらしくも思える。

タフで頑強なガリチェーノは扱いやすく、知能的で万能向きのウマであると言われている。このウマの持ち前の俊敏さやスピードは牧場や競技会のポニーとしての人気を保証している。さらに牽引用や日常の交通手段として用いられている。

多様なポニーたち(12):ウェリッシュ・マウンテン・ポニー

今回のポニーはウェリッシュ・マウンテン・ポニー(Welsh Mountain Pony)。画像はここ

ウェリッシュ・マウンテン・ポニーは英国の山岳および湿原ポニーの中では多分最も数が多い品種である。このポニーはウェリッシュ・ポニー(Welsh Pony)やウェリッシュ・コッブ(Welsh Pony Cob Type)への基礎になった。

ローマ帝国がブリテンに侵攻するずっと以前から在来種のポニーがウェールズの丘陵地帯に住んでいた。ローマ人たちによって東欧の血統が導入され、この影響は1894年Dyoll Starlightによる品種創設開始まで続いた。

ウェリッシュ・マウンテン・ポニーはポニー種の中では最も美しいポニーだと思われている。その美と同様にその頑強さや代々に受け継がれた穏健さはこのポニーが育ったウェールズの高地の野生環境から引き出されたものである。

 

 

多様なポニーたち(11):シェトランド

今回のポニーはスコットランドのシェトランド(Shetland)。画像はここにある。

その大きさに比較してシェトランド諸島の小柄のポニーは世界最強のウマ科動物である。一人のおとなを乗せて田舎の悪路を歩くこともできるし、重い荷重を乗せて農場で働くこともできる。今や大変な人気で全ヨーロッパ中はもとより北米やオーストラリアで飼育されている。小さな子どもの騎乗や牽引用としてそしてサーカスからの需要がある。

このポニーの生まれ故郷は荒涼としたシェトランド諸島である。その冷酷な環境がこのポニーの性格や大きさを規定した。このポニーのシェトランドへの到達は10000年以上まえでスカンジナビアからかもしれない。19世紀にはシェトランドは炭鉱で使われ、より重いタイプのポニーが出てきたが、今ではそれは殆んど消滅してしまった。