「ルーシー」は二足歩行

新聞でルーシーが二足歩行をしていた証拠が見つかったとする記事を見た。ルーシーは今から320万年まえにアフリカに住んでたアファール人の女性の化石に付けられた名前で、今回同じアファール人の第四中足骨の化石が発見され、この骨の形状から足裏に「土踏まず」があったことが示されたというわけである。
「土踏まず」は二足歩行をするときに姿勢を制御したり、衝撃を和らげたりするのに必要な足の構造だと考えられているので、これからルーシーを初めとするアファール人の二足歩行が証明されたと報じている。
二足歩行といえば、つい最近に通常に二足歩行をするチンパンジーの話が報じられていたが、猿などの四足歩行は前足をナックルウォークさせる。これらを見ていると二足歩行までもう一歩という感じである。

立春正月

広辞苑によれば、「節分」とは、立春(りっしゅん)、立夏(りっか)、立秋(りっしゅう)、立冬(りっとう)の前日のことで、今日では、これらの中の立春の前日の節分のみが人口に膾炙されている。
旧暦ではこの立春の前後が年の始めであった。
暦を作る上では、冬至が最も重要な日である。冬至の日は太陽の動きを観察することで決められる。一年で棒の影が最も短くなるタイミングが冬至である。冬至から次の冬至までが一年となる。これを正確に決めるのが暦の最重要事である。
この一年にどのような月を配分するかは次の問題である。
たとえば、江戸時代の最後の暦である「天保暦」では
「歴日中、冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とする。」(能田忠亮著「暦」(至文堂:昭和41年)。
だから正月元日は立春の前後になる。元日が立春の前になるのか、後になるのかは年による。
こんな和歌もある。「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはん今年とやいはん」(在原元方)。
こんな複雑な旧暦であるが、江戸時代の人は西洋の太陽暦を見て、「怪奇の甚だしいもの、蓋し蛮人の遺毒か」(渋川春海)と言ったとか。

「年の内の春ゆゆしきよ古暦」(蕪村)
「御経(おんきょう)に似てゆかしさよ古暦(ふるこよみ)」(蕪村)