画像は瑞鳳寺の山門の脇に建てられている下馬碑である。「下馬」とう文字が石にノミで彫った点の集まりで表現されている。大きな石碑である。
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下馬
元々は瑞鳳殿に上がる参道である坂道のたもとにあったものらしい。「下馬」という文字で分かるように、瑞鳳殿に参詣に来た騎乗の武士もここで「下馬」するようにとするものである。江戸時代にはいろんなところに「下馬」の標識があった。
この下馬碑を作らせたのは伊達藩四代藩主綱村で、大阪四天王寺にあった石碑を模写させてそれから作らせたと説明がある。綱村は絵心もあり(実際かれの描いた日本画は素人ではないなというレベルで)この下馬碑の文字の作り方にも興味を持っていたのだろう。また、伊達藩は大阪屋敷もあり(藩主の何人かは大阪生まれだ)、もしかしたら綱村は大阪にも土地勘があり、この碑の存在を以前から知っていて面白いと思っていたのかもしれない。