甲斐国南部と奥羽南部

山梨県の静岡県よりに南部町というところある。日蓮宗の本山がある身延の近くである。同じ「南部」という文字を持つところとして「南部藩」がある。今の八戸を中心とする江戸幕府時代の藩である。この二つの「南部」は遙か鎌倉時代まで遡ると繋がる。しかも馬を通して繋がるのが面白い。
源頼朝の平泉攻略後には、大挙して関東武士団が奥羽に進駐してくるが、奥羽の良馬を生産する地方には、牧場経営の経験がある武士をその地の地頭にしたらしい。その一例が、甲斐国南部・波木井(はきい)の二つの牧の牧監であった南部氏に糟部の地(現在の奥羽南部地方)を与えたことである。この糟部を領有した南部氏は「四門九戸(くかのえ)」と呼ばれる牧場制を立て、九牧を置いて軍馬の育成に努めた(馬の文化史:馬の文化史叢書第六巻)。この南部氏が領有した地域が奥羽・南部である。七戸(しちのえ)では現在でも馬の生産が盛んだ。