小迫(おばさま)延年舞

宮城県栗原市金成町津久毛字小迫(おばさま)の白山神社で行われる流鏑馬神事である。
説明によれば
古来、この馬乗渡しの扇の的を手に入れた部落は豊作であるといわれ、必死に的の奪いあいが行わてきたため、一名「ケンカ祭」ともよばれています。祭りの当日は、那須与一の扇の的射にあやかり宮城県北・岩手県南から数百人の選手が技を競う弓道大会、吟道大会が開催されるほか、地場産品まつりも同時開催され好評です。昭和54年2月3日、重要無形民俗文化財として国の指定を受けました。祭典は、旧3月3日でしたが、現在は4月第1日曜日に開催されています。

流鏑馬神事
流鏑馬神事ー1mほど前の大きな的を射るそうです。


そう言えば那須兄弟は兄の那須与一(宗高)は源頼朝の武将、弟の那須大八郎は源義経の武将と兄弟でも別々の主に仕えていた。最も、兄の那須与一は、直接の上官である梶原景時(かげとき)の陰謀に近い「義経追い落とし」を嫌って、この「扇の的射」のときは、義経配下の武将として従軍していたときのことである。梶原は激怒して、軍罰を科した。この那須兄弟は、もっと複雑で、六郎実高、四郎久高、三郎幹高は平家方にいた。

「木の下が蹄のかぜや散さくら」(蕪村)