広辞苑によれば、「節分」とは、立春(りっしゅん)、立夏(りっか)、立秋(りっしゅう)、立冬(りっとう)の前日のことで、今日では、これらの中の立春の前日の節分のみが人口に膾炙されている。
旧暦ではこの立春の前後が年の始めであった。
暦を作る上では、冬至が最も重要な日である。冬至の日は太陽の動きを観察することで決められる。一年で棒の影が最も短くなるタイミングが冬至である。冬至から次の冬至までが一年となる。これを正確に決めるのが暦の最重要事である。
この一年にどのような月を配分するかは次の問題である。
たとえば、江戸時代の最後の暦である「天保暦」では
「歴日中、冬至を含むものを十一月、春分を含むものを二月、夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八月とする。」(能田忠亮著「暦」(至文堂:昭和41年)。
だから正月元日は立春の前後になる。元日が立春の前になるのか、後になるのかは年による。
こんな和歌もある。「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはん今年とやいはん」(在原元方)。
こんな複雑な旧暦であるが、江戸時代の人は西洋の太陽暦を見て、「怪奇の甚だしいもの、蓋し蛮人の遺毒か」(渋川春海)と言ったとか。
「年の内の春ゆゆしきよ古暦」(蕪村)
「御経(おんきょう)に似てゆかしさよ古暦(ふるこよみ)」(蕪村)