美術に表現された馬(7): At the Races ( Edouard Manet)

マネの馬たちである。画像はここ

Horse Museumの説明:

フランスの画家、マネは独特の絵画技法や論争の種になるような絵の対象によって一生を通じて批判された。かれはカンヴァスを絵の具の層を作って筆致を消してしまう古典技法を拒否し、光の印象を創るために逆に色の筆致を使った。今日では多くの人が彼は近代絵画の父だと考えている。

かれが受けたような批判は印象派の人々に対する批判で、かれらの筆致は「モップを使って描いた絵」と揶揄された。

新年の朝(2020年)

「元朝まいり」の真似ごとで大崎八幡宮にカメラを持って行ってみた(1月4日)。そのときの写真を一枚:

大崎八幡宮の朝

マキアヴェッリ語録(塩野七生著)

マキアヴェッリ語録(塩野七生著)という本がある(新潮文庫)。これはマキアヴェッリの著作の著者の眼識による抜粋である。その中の名言を少し紹介する。

*国家にとって法律をつくっておきながらその法律を守らないほど有害なことはない。とくに法律をつくった当の人々がそれを守らない場合は、文句なく最悪だ。

*歴史は、われわれの行為の導き手(マエストロ)である。だが、特に指導者にとっては師匠(マエストロ)である。

美術に表現された馬(6):Study for Sussex Farm Horse(Robert P. Bevan)

独特の色使いで表現された馬である。画像はここで。

イギリスの田舎で育ったRobert Bevanは二つのことに情熱を注いだ。それらは絵を描くことと馬であった。裕福な銀行家の息子であつた彼にとってはこれらの二つを追求する余裕があつた。絵を学びそしてその芸樹の中で馬を追求することを助言された。彼の最初の個展で批評家たちはかれの色彩が強烈なことに印象つけられた。今日ではかれは20世紀で「純粋な色彩」を使った英国の芸術家の一人と考えられている。

中国の人名にででくる「字(あざな)」について

映画「三国志」を見ていると登場人物の殆んどが字(あざな)を持っている。

諸葛 亮(しょかつ りょう)は字は孔明こうめい)、司馬 懿(しば い)は字を仲達(ちゅうたつ)といった具合である。

諸葛 亮のばあい諸葛(しょかつ)が姓で亮(りょう)が名であり、司馬 懿のばあい司馬(しば)が姓であり懿(い)が名である。

この名と字との機能の違いがあるように思える。

自分を表現するときには名を使う。例えば、孔明の有名な「出師の表」の出だしでは

「臣亮言う。先帝、創業未だ半ばならずして中道に崩殂す。….」となる。

一方人々がかれを呼ぶときには、「孔明」と字で呼ぶ。

また、面白いことに名は漢字一字であるのに対して、字は漢字二字である。時代は失念(たぶん後漢以前)したが、それまで使っていた漢字二字を名に使うことが禁じられ、漢字一字の名のみ使うことが許され、同姓同名が沢山に世のなかに出てしまい混乱したときがあった。もしかしたら、このような混乱を避けるために漢字二字の「字」を使い始め、それが習慣化したのかもしれない。

 

美術に表現された馬(5):馬の素描(葛飾北斎)

葛飾北斎の馬たちである。画像はここにある。

アウトラインのみで馬の特徴を巧みに表現してあり感心する。

五歳のころより彼の言によれば「ものの形を素描することに夢中であった。」三万点以上の作品がある。後年彼は自分のことを「画狂老人」と言った。

臨終の言:

「翁死に臨み、大息し天我をして十年の命を長ふせしめバといひ、暫くして更に謂て曰く、天我をして五年の命を保たしめバ、真正の画工となるを得べしと、言吃りて死す。」

Horse Museumのクレディトによれば、この「馬の素描」はシアトルの美術館にある。

かれは馬を含め多くに動物を描いている。それらはここで見られる。

美術に表現された馬(4):Horse (Alexander Calder)

ワイヤーで馬を表現した。大変に印象的な立体像だ。画像はここで見られる。

“Horse Museum”の説明によれば

米国の芸術家、Alexander Calderは8歳のとき彼の妹の人形にためにワイヤーで飾りを作った。おとなになって批評家たちが「立体描画」と名づけた手法のワイヤーで肖像画や彫像を作成し始めた。かれの初期の作品はこの馬のように形象描写的で動かないものであった。最終的には彼は金属板やワイヤーから抽象的な作品を作るようになった。しかもそれは動く。最初はそれはモータによって動かされたが、最終的には自力で動くようなものであった。1931年Marcel Duchampはこの動的彫刻を「モビール」(”mobile”)と呼んだ。

一度は自分の部屋にこのモビールを掛けたことがないかな?それならばAlexander Calderにありがとうを言おう!

蹄脚硯と地方文化

蹄脚硯という面白い形をした硯がある。奇蹄類(多分馬)の蹄のかたちを模した硯である。画像はここで見られる。以前に平城京の発掘から出てきた蹄脚硯を本で見たが、先日仙台メディアテークで仙台周辺の遺跡の発掘にボランティアで参加した活動報告展示があり、そこにこの硯があった。奈良時代には地方でもこの種の硯が使われていたことを示している。

奈良時代は仏典の写経などで墨で文字を書くことが多かった。坪井清足著「平城京再現」によれば、平城京には写経所が何箇所もあり、経師と呼ばれる経を書き写す人、校生という校正する人など沢山の役人がいた。硯の需要も多かったと想像される。

聖武天皇のよる一切経の写経奉納といっても、実際に経典を書き写したのこれらの写経生であったわけだ。

Pythonでヴォロノイ図を描く

ヴォロノイ(Voronoi)図をPythonを使って描く。

じつはパッケージSciPyにヴォロノイ図を描くモジュールがある。今回はそれを使ってみた。出来上がった図の一例を示す。

 

このパッケージは日本語を含むファイルPath名のファイルを作成できない。これが苦労したところ。