「商業(しょうぎょう)」と「杞憂(きゆう)」

「商業」と「杞憂」。

何の共通点もないようだけれど、「商」も「杞」も国名であり、しかも亡国の民がひっそりと暮らした国である。

まず「商」。周の武王が殷(いん)をほろぼしたのは紀元前1027年ごろといわれている。この殷は自分たちの国を商(しょう)と呼んでいた。周は殷の王統の微子啓(びしけい)を宋という国に封じた。与えられた宋という土地は肥沃でなく、そこの人々は商業活動で生計をたてた。その業が「商業」である。

つぎに「杞」。殷(商)は夏王朝を倒してできた国である。その殷は夏王朝の遺民に国を与えた。この国が杞(き)である。

この杞に心配性の男がいて、「天が落ちたらどうしよう」「太陽・月・星が落ちてくるかもしれない」と取り越し苦労をしていた。これが杞憂である。

商人や杞人はどちらも亡国の民であり、これらの逸話はかれらが特別視(差別視)されていたことの反映なのかもしれない。

中国名言集:弥縫録」より。