レヴァードする奇跡の騎馬像

騎馬像でレヴァードの姿勢をした騎馬像もある。このブログでも以前紹介した。ウイーンのヘルデンプラッツ(Heldenplatz)にたっているサヴォイ(Savoy)のユージン皇太子(Prince Eugene)の騎馬像である。ところでこのヘルデンプラッツにはもう一つの騎馬像がある。それはカール大公の騎馬像である。これは奇跡の騎馬像と呼ばれている。理由はこの記事を参照していほしい。

レオナルド・ダ・ヴィンチのスフォルツァ騎馬像でも触れたが、レヴァード(両前肢を空中にして両後肢のみで馬体を支える馬術演技)の姿勢の騎馬像は制作が大変に難しい。特に騎馬像が大きくなり重量が増すと困難を極める。スフォルツァ騎馬像は高さは7.2メートル、青銅の重さは72.5トン。これはさすがに無理。

記事によればカール大公の奇跡のレヴァードする騎馬像を制作したのはアントン・ドミニク・フォン・フェルンコルンという彫刻家で、この成功によって次のユージン皇太子のレヴァードする騎馬像を制作することになった。しかし今回はうまく行かず発狂してしまった。弟子は両後肢と尾の三点で立つ騎馬像にして完成させたという。多分後者の騎馬像は前者に比べ重量があったのであろう。この彫刻家は正に重圧に負けてしまったわけだ。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ:トルヴルツィオ騎馬像

田中英道著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」によればレオナルドは晩年になってトルヴルツィオ騎馬像をつくるための準備のデッサンを残している。また手稿のなかで

「トロット(速歩)は自由なウマのほとんどの特質をそなえている」

と述べている。これはどんな意味か?トロットしている騎馬像を意味しているのか?

トロットしている騎馬像としてよく引用されるのがこの騎馬像であるが、これがトロットだろうか?

実際のウマのトロットの動画がある。また理想的なウマの速歩の歩みの静止画も載せる:

トロット
トロット。Balancing Act(G.Heuschmann)より

側対の前肢と後肢が平行になっていることに注意。

これらを比較すると騎馬像のトロットは前肢の動きが誇大に強調されているように思える。

レオナルド・ダ・ヴィンチと司馬江漢

レオナルド・ダ・ヴィンチと司馬江漢は二人とも画家であるが、天文研究もしていたという共通点がある。しかも太陽中心説を擁護する論法が独特で面白い。

レオナルドは言う:

「大きさからみても、 力からみても、宇宙に はそれを凌ぐ天体は見当たらないのから。太陽の光は宇宙に広がるすべ ての天体を照らす。 」(「太陽の賞賛」手稿)

江漢は言う:

「太陽ノ大ナルコト三十万九千五百一里余ナリ、日輪天の一度ハ三十万二千九百八十六里三二九ナリ、太陽ノ一跨(ヒトマタギ)ニ不足(タラズ)、タトエハ人ノ五尺ノ身以テ昼夜歩(ユカ)バ二十里ヲ歴(ヘ)ル」(和蘭天説)

と両者とも太陽が不動なことを主張している。論法が面白い。

 

ウマはホース(35):ペルビアン・パソ

南米ペルーのウマである。独特の四節の歩様で走る。動画が面白い。

ペルビアン・パソは前回紹介したクリオロと共通の祖先によることが分っている。このウマはパソ・ラノという名称で知られている独特な肢を横に蹴り出すような四節で走り、特異な体型をしてる。

このウマの品種改良はこのパソ・ラノという歩様を完成させる方向でなられている。パソ・ラノの動作では前肢を円を描くように活発に動かし、後肢はこの動きを強力にサポートする。そのため馬体の後半部を低く構える。

この品種は大変に強靭である。後肢および繋は長く、関節はことのほか柔軟である。これらの要素がことウマの歩様の快適さに貢献している。

レオナルド・ダ・ヴィンチの天文研究

世界史的にみると天文学が個別科学となるのは17世紀で「太陽系の大きさ」といった天体までの距離や天体の大きさが議論されはじめたころであると考えられる。これはコペルニクスの天動説から地動説への転回(1543年)より天文学にとっては本質的であると考える。

このような状況にあって15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて生きたレオナルド・ダ・ヴィンチがどうような天文学の研究をしたか興味がある。この問題にたいする詳しい研究の一つに井上昭彦氏の研究がある。それによればレオナルドは「太陽の賞賛」という手稿の中で以下のように記している

「ああ 、太陽よりも人間を崇め讃えようとする人びとに論駁できるほどの 語彙が私にあればよいのだが。大きさからみても、 力からみても、宇宙に はそれを凌ぐ天体は見当たらないのから。太陽の光は宇宙に広がるすべ ての天体を照らす。 」

全てを照らす太陽が宇宙(太陽系)の中心にあることを主張している。これ以前の手稿で天体の見かけの大きさと真の大きさとの関連を議論したり、月の性質を議論している。

天体の見かけの大きさと真の大きさの関係を量的関係として把握する一歩手前まできている。

因みに天体の大きさや天体までの距離を最初に量的に把握したのは古代ギリシアの人々で、地球の大きさ、地球から月までの距離、月の大きさを観測から求めている。地球から太陽までの距離はさすがに難しく信頼できる値は得られていないが、太陽がとてつもなく大きな天体であることは認識できた。これらの知識はアラビアの科学を経て12世紀ごろからヨーロッパに知られるようになる。

ウマはホース(34):クリオロ

南米の馬を紹介する。最初はアルゼンチン原産のクリオロ(Criollo)である。画像はここにある。

アルゼンチン原産であるが、少し異なった体型と異なった名前で南米大陸全体に生息している。例えばブラジルではCrioula Brazileiroの名前を持っている。アルゼンチンにおいてはクリオロはパンパスで働くカーボーイ、ガウチョ(Gaucho)にとっては不可欠な乗り物であり、アルゼンチンで有名なポロ・ポニーの進化で重要な役割を果たしている。

クリオロは16世紀に南米にもたらされたスペインウマの系統を基礎としている。それらの馬は忍耐強いバーブ種の血を持っていた。目立った最初の輸入は1555年にブエノスディアスの建設者であるDon Pedro Mendozaによってなされた。その後原住民のこの都市への侵入で、これらの馬は広範囲に四散し野生となった。

クリオロはスペイン馬を祖先とする仲間に共通の特質である堅牢さや従順さでは世界一のウマである。過酷な環境で最低の食料で生きることができる。また耐久競技では信じ難い力を発揮し、長寿であることも特質である。

レオナルド・ダ・ヴィンチの三つの騎馬像

田中英道著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」によればレオナルド・ダ・ヴィンチは未完も含め三つの騎馬像に関わっている。

(1)コレオーニの騎馬像

ヴェネツィアのカンポ・サン・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場に現存する騎馬像である。画像はここで。直接の製作者はフィレンツェのヴェロッキオであったが騎士の厳しい表情や馬の首あたりの緊張感は当時ヴェロッキオの弟子であったレオナルドの影響が強く出ているといわれている。1480年ごろの作品で、馬は常歩の歩みをしている。

(2)スフォルツァ騎馬像

レオナルドがフィレンツェからミラノに移り、ミラノ公ロドヴィコの依頼により製作を試みた。騎馬像の馬の頭部から脚の先の長さが7.2メートルでしかも馬はレヴァードの姿勢(馬の両前肢を地上に上げて馬体を後肢のみで支える)をとっているというものである。青銅製でその鋳造に必要な青銅の重さは72.5トンという巨大なものであった。1490年ごろの試みである。レオナルドより依頼主が計画を断念してしまったという。強化プラスチックによる現代版「スフォルツァ騎馬像」。

(3)トリヴルツィオ騎馬像

1510年ころである。素描が残っている。その画像はここで。現存しないし製作したのかも不明。