ハミによる磨耗痕を示す最古のP_2(前臼歯の第二歯)は北カザフスタンのボタイやTersek文化のものである。1980年代のVictor Zaibertによる発掘によって、ボタイはウマに騎乗してウマの狩を行い、特殊な経済機構を持ち、紀元前3700-3000の間にのみ実在し、北カザフスタンのステップにのみ暮らしていた特殊な狩猟民の居住地であった。エシム川の東にあるボタイ型の遺跡もエシム川の西になるTersek型の遺跡も動物の骨の内65-99.9%の頻度でウマの骨を含んでいた。ボタイは150個所以上のウマの骨の堆積所があり、30万本もの動物の骨が発掘され、その99.9%がウマの骨であった。ボタイで代表される他の動物種にはヘラジカ、アカジカ、ノロジカ、イノシシ、クマ、ビーバー、サイガそしてガゼルと同様に非常に大型のウシ科の動物、たぶんバイソンしかしオーロックスかもしれないが含まれている。徒歩の人々ではそんなに容易い獲物ではないがウマはこれらの動物を大きく上回って好まれていた。
西および中央ユーラシアステップのおける金石併用時代またはそれ以前のウマ関連の遺跡。 生態学的にみたステップ地帯は破線で囲ってある。
(1) Maliukhor Bugor;(2) デレイフカ;(3) Mariupol;(4) Marveev Kurgan;(5) Girzhevo;(6) Kair Shak; (7) Dzhangar;(8) Orlovka;(9) Varfolomievka;(10) Khvalynsk;(11) Syezzhe;(12) Tersek;(13) ボタイ.。