乗馬の起源(3)

ボタイから得られた52個のP_2を調べて、19個が調査対象になり得るものであった(多くは表面が酷く破壊されていたし、三歳より若いウマのものもあった)。それらの19個の内、5個(少なくとも三頭のウマからのものである)は明白な磨耗傾斜を持っていた。その測定値は3mmが二本、3.5mmが一本、4mmが一本、そして6mmが一本であった。ボタイのP_2の破壊されていない部分の磨耗痕は磨かれたようにスムーズな表面になっており、われわれの実験に即してみると「柔らかい」ハミによぅて創られたものと同じものであった。この五個の歯は居住地の異なった場所で発掘されたものであり、単独の穴蔵から得られたものではない。ボタイでハミによる磨耗痕を示したP_2の割合は全P_2サンプルの12%であり、測定可能な19個のP_2サンプルの26%であつた。どちらの数も稀に自然状態でできる不正咬合で説明するには高すぎる数である。

さらに紀元前3700-3000年と同時代の年代を持つTersk遺跡、Kohzai 1から得られたウマのP_2についても調べた。Kohzai 1においては発掘した7000千体の骨の66.1%がウマのものであった
(ヘラジカが21.8%、オナガーが9.4%、大型の家畜ウシを含むバイソンが2.1%)。調べた12本のP_2の内二本で3mmの磨耗痕を見つけた。ボタイでもkohzai 1でも大部分のP_2はハミによる痕跡を示さなかったが、少数(13-26%)は磨耗痕を示した。これはボタイ・Terskの人々がウマに騎乗してウマの狩猟をしていたという解釈と整合的である。

【画像の説明】ボタイの居住地から得られたハミによる磨耗痕のあるウマのP_2三例。画像は咬合面に死後の損傷があることを示している。損傷を受けていない中央の歯は滑らかなエナメル面をしているが、ロープや革のような「ソフトな」ハミで乗ったときのような顕著な磨耗傾斜を示している。