附馬牛(つきもうし)

遠野に附馬牛(つきもうし)という珍しい名前の場所がある。この名前の由来を調べてみると、
「現在の青森県東半部から岩手県北部にかけての地域は、古く陸奥国糠部(ぬかのぶ)郡とよばれました。糠部産の馬は名声が高く、「糠部の駿馬」と通称されました。現在の遠野市域はかつて閉伊(へい)郡とよばれた地域で、糠部郡に南接していた閉伊郡も古くから馬産が盛んなところでした。附馬牛地内の稲荷神社には槻の巨木があり、この木の下に多くの牛馬を放牧することができたことが、附馬牛の地名由来との伝承があります。」
とある。ここで「槻」(つき)とは欅のことで、万葉集あたりでは「槻」が使われている。
また、附馬牛の駒形神社ふきんは阿曽沼氏の牧場だったといわれているが、遠野 に駒形神社が多いのは、とくに阿曽沼時代に馬産がすすんだことをものがたっている。
阿曽沼氏は鎌倉時代に頼朝からこの遠野を与えられ戦国時代までこの地を支配した豪族で、南部氏と同じように出身が関東かもしれない。