蛸薬師の馬頭観音石碑

仙台市内や近郊には実に多くの馬頭観音の石碑がある。市内では江戸時代の街道筋になっているところに多く見かける。街道を往来した馬に関連したものであろう。一方近郊の農村地帯にも沢山の馬頭観音の石碑が目に付く。これらは多分農作業に従事した馬たちの供養のために建てられたものだろう。
前者の一つの蛸薬師の馬頭観音の石碑がある。場所は長町で江戸時代に奥州街道から二口街道が分岐するあたりで蛸薬師の境内にある。江戸末期ものから明治大正のものまであるが、大きなものは江戸時代のものの三基である。

馬頭観音の石碑
馬頭観音の石碑


一つは「天明二年」と側面の刻まれたもので写真のように「大町太物問屋中、京都飛脚中、江戸三度飛脚中」と寄進した問屋仲間の名前が見える。江戸三度飛脚は月に三度江戸との伝馬制度に従事した飛脚で、その人たちが被っていた笠が後の「三度笠」の起源になったものである。太物とは木綿このこと。もう一つは文化八年の日付があり、「大町太物仲間宰領(さいりよう)中」と寄進者の名前がある。宰領とは物や人を運ぶ場合責任を持って監督し付き添っていた人たちのことである。この馬頭観音の石碑が街道の往来の無事を祈願したものであることが分かる。最後の一つは文字が摩滅して読めないが馬頭観音の文字は見える。この境内にはその他沢山の馬頭観音の石碑がある。
因みに「蛸薬師」の蛸の由来は、神社の説明によれば、洪水があって池に薬師如来の像が到来したが、なぜか蛸が吸い付いていたことからだという。

蛸薬師
蛸薬師