乗馬の習慣は何時、何処で、そしてどんな目的で始まったのかという問題である。
「何時、何処で」はいろんな機会に議論されているが、何の目的で乗馬を始めたのかというのは新しい視点である。
乗馬の習慣は何時、何処で、そしてどんな目的で始まったのかという問題である。
「何時、何処で」はいろんな機会に議論されているが、何の目的で乗馬を始めたのかというのは新しい視点である。
今回のウマはプロセイン王国のトラケナー(Trakehner)を取り上げる。画像はここ(日本ではトラケナーを生産したトラケーネン牧場の名が品種名と誤解されている)。
多くの人々がトラケナーはヨーロッパ随一の華麗なウマで乗用馬として理想的なウマと考えている。第二次世界大戦の間東プロセインの血統書に登録されていた25,000頭のトラケナーの内1,200頭が500マイルヨーロッパを横断して輸送された。これらを使ってドイツの畜産家たちは品種の継続を保つことができた。
トラケナーは15世紀に嘗て東プロシャ内にあったチュートン騎士団の牧場で組織化された。このためにターパンの後裔であるSchweikenポニーが使われた。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の時代(1732年)に王立トラケナー牧場が創立され、活動的に馬車を曳くウマの生産を目指した。50年の経過の間、騎兵の騎馬に目的が変化した。そのためサラブレットなどとの交配が進められた。
今回のウマもオランダのウマである。ヘルデルラント(Gelderlander)で画像はここにある。
オランダ温血種の構成要素はフローニンゲン種とヘルデルラント種の二つであるが、後者がより魅力的である。ヘルデル州の市場に敏感な畜産家たちはかれら自身の必要を満たし、近隣にとっても魅力的であるようにこのヘルデルラントを創造した、そして固有種の性格を温存している。
今回のウマはオランダのフリージアン(Friesian)である。画像はここにある。
青毛のフリージアンは古代に起源を持つ冷血種である。故地ではブリテンの大型のシャイアーに寄せられた同じような賞賛や褒めすぎをかち得ている。騎乗のウマとして非常な敏捷性を示すが、現生のフリージアンは印象的な曳きウマとしてずば抜けている。この気質や外観からサーカスのトレーナーの間で人気があり、その容貌や体色から葬儀業界でも需要がある。
ヨーロッパの「原始的」な森林ウマの後裔であるフリージアンはオランダの北海岸に位置するフリーズランドで主として育成されている。ドイツやフリージアンの騎士を十字軍として乗せたこともあり、さまざまな目的の軍馬として用いられた。最初オリエントの馬との交配で品種改良がなされ、その後オランダがスペインから独立する1609年までは普及してきたスペインのウマからの影響が大きかった。
フリージアンはその愛すべき性格と従順さで特記される。体型的に万能で飼育の手間が要らない。
仙台・秋保の秋保神社の西並びにカフェがオープンした。それがGreen Shootsである。
Tom:「この紅茶にはジンジャが入っています」
客:「神社?」
この会話は楽しかった。
このカフェのオーナはオーストラリアから来たデンマーク人のTomさんと日本人の奥さん。各種のサンドイッチがメニュの基本で仙台では珍しい。
立ち寄った日はミートボールや赤キャベツの入った温かいサンドイッチでその上に小さいライ麦パンが乗っかっているリッチなサンドイッチ。コーヒーも面白い味だった。
オーナのTomさんの自慢の自作の絵を沢山見せてもらった。
現生のウマたち全ては紀元前4000年ごろウクライナで人類と出会った幸運なウマたちの後裔である。世界中の拡がったウマたちは地域の環境に即してその後進化を遂げた。
この生存環境の多様性に従って現生のウマたちは北ヨーロッパの森林地帯に起源を持つ冷血種(Coldbloods)と北アフリカの砂漠気候や中東に起源を持つ軽量で軽快な熱血種(Hotbloods)に二分される。
アラビア種(バーブ種も多少)は熱血種の源泉である。これらの軽量で軽快なウマたちは乾燥地帯で進化し興奮しやすい気質を持っている。ペルシャロンのような骨太で冷静な気質をもつ重量馬は北ヨーロッパの環境で進化したもので冷血種と呼ばれている。冷血と熱血の系統の交配でできたウマたち、例えばコーター・ホースやトラケナーは温血種(Warmbloods)と呼ばれる。熱血種化されたサラブレッド、温血種化されたスペイン種、さらに冷血種のペルシャロンにおいてもアラビア種の貢献は誇張ではない。
「日本の仏像」(土門拳)で取り上げている大和関連の仏像を紹介しておく。公開日程を追加した。
土門拳の写真から構成された「日本の仏像」の中で京都に関連するもの紹介する。改訂版である。公開情報も併せて載せる。
翻訳の問題が話題にでたので有名な誤訳を紹介しておく。
① John is eager to please.
② John is easy to please.
この二つ文は表面的には似ているが、意味は全く異なっている。これらを以下のように訳した例がある:
① ジョンは喜びたがっている。
② ジョンは容易に喜ぶ。
pleaseでは他動詞の目的語は何かという点が問題になる。
①ではそれはothersであり、②ではJohnである。②は
It is easy to please John.
となり、「ジョンを喜ばすのは簡単だ」と訳せる。①は「ジョンはほかの人を喜ばすことに熱心だ」となる。
Helen MerrillのYou’d be so nice to come home to.がなかなかいい。ジャズの話である。ハスキーな声に特徴がある。共演のClifford Bownのトランペットも素晴らしい。
ところでこの題名You’d be so nice to come home to.はどうゆう意味なのであろうか?
中村保男著:「名訳誤訳」によれば、この最後のtoが曲者である。
【誤訳一例】
「帰ってくれたら嬉しいね。」
You’d be so niceはYou would be so niceの仮定法だから「あなたは素敵だ。」と訳せる。to come home toはto come homeの意味であなたが家に帰ってくれることの意味に取れる。しかし最後のtoは無視されている。
【正解】
You’d be so nice to come home to.
は
It would be so nice for me to come home to you.
と展開できる。これならば誤解なく訳せる:
中村氏の訳は
「あなたの待つわが家がほしい」