千葉・習志野:火球・隕石の確認

7月2日に未明関東一円で目撃された火球の落下場所から隕石が見つかったという記事が今日の新聞に載っていた。

国立科学博物館が発表したもので、7月2日午前2時半ごろに千葉・習志野のマンション二階で大きな音がして、朝になって住民が共用廊下に石が落ちているのを発見。さらに中庭でもう一つの石を発見した。

博物館がこの石の調べたところ宇宙線で生成される放射性物質が検出されこの石が宇宙由来であることわかり、かつこの放射性物質の半減期の測定からこの石がごく最近のものであることもわかった。それらの二つの石は63グラムと70グラムあったが、きれいに合わされるので一体のものであったこともわかったという。

写真はここ

目撃された火球に関連する隕石と見られている。

1000年前も癒やしたニャ:中央アジア遊牧民遺跡の猫

今朝の新聞記事のタイトルである。

中央アジア・カザフスタンの遺跡ジャンケントで発掘された猫の全身骨格についてのニュースである。この遺跡は1000年以上まえの遊牧民オグズのもので、ドイツのマルティン・ルター大学などの国際研究グループの発掘で非常に保存状態のよい猫の全身骨格が見つかった。

この猫は埋葬されたもので骨の分析から生前はかなり栄養状態がよい環境にいたこともわかった。

猫はエジプトでネズミの害から穀物を護りために家畜化されたといわれているが、今回の猫は遊牧民にとってはペットではなかったと推測されている由。

「海夫」(かいふ)、「海人」、「網人」そして「海夫」

海と列島の中世」(網野善彦著)によれは日本の中世において海を活動の中心においていた人々の呼び名に地域性があるという。面白いので紹介しておく。

利根川や霞ヶ浦に近い香取社に残っている南北朝期の文書のなかで「海夫(かいふ)」という言葉がでてくるという。この人々は平安時代以来、香取神社に供祭料を納め、利根川や霞ヶ浦にあった「湊」を特権的に利用した海上交通に携わった人々であったと思われている。

一方、日本海側の北陸地方の海民は「海人」と呼ばれることが多く、琵琶湖から瀬戸内海のかけての海民は「網人」と呼ばれることが多いという。

ところが、「倭寇」(わこう)などといわれた海の武士団として有名な肥前国の松浦党の支配下に、鎌倉時代以来「海夫」と呼ばれる人々がいた。

この呼び名の一致は常陸と肥前(佐賀、長崎)とは陸上の距離はあるが、海上での実質的な距離は近く、両者に交渉があった結果なのかもしれない。

 

 

 

「職杖」(Mace)の起源

欧米では裁判官などの職の権威を象徴する職杖(Mace)を持っていることが多い。これは武器としてのこん棒(Mace)と異なった起源を持つように思われる。

“The Horse ,the whell and Language”(David W. Anthony著)を読んでいたら、紀元前5200年~5000年あたりのドニエプル・ドネツII文化(アゾフ海の北のドニエプル川渓谷やドネツ川渓谷で発掘された文化遺構)の墳墓から、磨いた石で作られた「職杖」の柄が発見されている。馬の頭部を模ったものや、十字架状のもので戦闘用とは思えないもので明らかに権威の象徴を示すものである。

磨いた石で作った馬の頭部を模った「職杖」の柄(右上部) “The Horse, the Wheel and Language”(D.W. Anthony著)より

ドニエプル・ドネツII文化はヒツジやウシの牧畜に移行した文化で、乗馬の習慣もあったと考えられている。そのような文化の特権階級の墓でこれらの「職杖」の柄が見つかっている。

これらの文化を担った人々の西への侵攻にともなってドナウ川渓谷の古ヨーロッパと呼ばれるところでも同じような「職杖」の柄が見出されるようになる。紀元前4000年あたりのころである。

これらが「職杖」の最も古いもので、これらがヨーロッパに拡がって権威の象徴としての形式となったのであろう。

 

800年前南米からポリネシアの島々に渡海

今日の新聞の記事のタイトルである。

南太平洋のポリネシアの最東部に位置するマルケサス諸島、バリサー諸島、マンガレバ諸島、そしてチリ領であるイースター島は元々ポリネシア人が住んでいたが南米とも近いために、南米の人々も渡海し、住民はこれらの人々の混血であることが予想される。

米スタンフォード大学などの国際研究グループは遺伝情報を使ってこの予想を確認した。研究グループはポリネシアの17の島々の人々、そして南米の太平洋沿岸の人々の合計807人のゲノム情報を解析した。

ポリネシアの東部の人々には南米の血が入っていることが分った由。つまり南米先住民がこれら東部の島々に渡海し、ポリネシア人と混血をなしたという訳である。渡海の時期はイースター島が西暦1380年ごろと最も最近で他の島々の西暦1200年ごろと推定されている。これらの島々に渡海した南米先住民はコロンビアkらエクアドルに住んでいた人々であったとみられている。

Horses no slouches with emotions(馬は情感豊かである)

表題のタイトルはNewscientistのNewsLetterの一つである(原文はここ)。このブログでも以前に馬はヒトの表情を理解しているかという実験の話をした。その実験に関連したレターである。

著者は馬はヒトが示す各種のボディーランゲージを理解していると述べている。例えば、馬が間違ってヒトの足を踏んづけてしまったとき、「ごめん」という以外に表現しようのない表情を浮かべるという。

また子どものころの経験を述べている。ドライブ・インの映画場で”National Velvet”という映画が上演された。この映画場の近くの馬場から馬に乗ってきた人々がいたそうである。馬は映画に無関心であったが、映画が競馬のシーンになるとその馬たちは大興奮で嘶いたり、足踏みを始めた。観客は映画はそっちのけで本物の馬たちに見入っていたという。

20年で変わった鳥の歌:ノドジロシトドの歌

今朝の新聞記事の表題である。

ノドジロシトドという体長約17センチのホオジロ科の鳥の鳴き声についての発見である。この鳥はカナダの森林で繁殖し、アメリカやメキシコ北部で越冬する渡り鳥である。この鳥はもともと三つの異なる音(“Old Sam Peabody-Peabody-Peabody”と鳴く)を繰り返す歌を歌う。

ところが1990年代にカナダ西部のブルティッシュ・コロンビア州で二つの異なる音(Old Sam Peabuh, Peabuh, Peabuh)を繰り返すノドジロシトドを発見した。その後、この新しい鳴き声で鳴くノドジロシトドの生息域は年々広がりアルバータ州(2014年)、3000キロも離れたオンタリオ州でも発見された。

この拡がりの原因を調べるために越冬地の分布を調べた。するとカナダの広い範囲に飛来するノドジロシトドは同じ越冬地で過ごすことがわかったという。つまり、この新らし習慣は越冬地にいる間に拡がったというわけである。

この記事に関連する写真や音声はこちら

ノドジロシトの雄の鳴き声は縄張りの宣言やその縄張りい入り込んできた雄にたいする威嚇を目的として発せられるという。三音から二音への移行は退化のように思えるが、どうだろうか。人のことばでも「まじで」とか「やばい」とかの短い語句で済ましてしまう傾向があるが、これも退化かもしれない。

Shire(シャイヤー)というウマたち

、以前のブログでShire(シャイヤー)を紹介した。普通名詞のshireを辞書で引くと「州」と出てくる。もう一つ意味として、‐shire を語尾とする)イングランド中部諸州とある。
都市名でみると、リンカン (Lincoln) は、イングランド東部のシティかつバラで、リンカンシャーの州都、レスター(Leicester)は、レスターシャーの単一自治体、スタッフォードStafford)は、イングランドのスタッフォードシャーにあるタウン、ダービーDerby)は、イングランド中部ダービーシャーの行政中心地。イングランドの中部にある州である。この地方で生産された重量馬がShireである。

雷世界新記録認定:最長距離709キロ/時間は16秒

今朝の新聞の記事である。

稲妻が走った距離や継続時間の世界新のニュースである。

これまでは地上からの観測により記録であったが静止気象衛星からのデータが使えるようになって記録は飛躍的に距離も時間の長くなった由。今回の世界新は何れも南米で、最長記録はブラジル南部で2018年10月31日にあった709キロメートルで、最長時間は2019年3月4日にアルゼンチン北部であった16.73秒である。

距離の時間が単純に比例関係にないように思われるのが面白い。