国府と都市

海と列島の中世」(網野善彦著)を読んでいて律令制の下で各地に国府がおかれることになるが、この古代から中世にかけての国府と近世に発達する都市との関係が面白いと思った。

同書によれば著者の生まれ故郷である甲斐の国では国府の置かれた場所は諸説あってはっきりしないが、国府を支配していたのは三枝氏といわれる豪族であった。しかしこの三枝氏の勢力が弱くなって国内が荒れ、これを取り締まるために都から派遣されてきたのが追討使に任じられた源頼信で、これが甲斐源氏に繋がる。甲斐の「河内」地方が支配地域で山梨県の南地方である(例の「南部」もここに含まれる)。

武田氏もこの甲斐源氏の流れを汲むもので、信濃の攻略を視野にいれたことでこの南部より北に位置する甲府を本拠地としたのであろう。

筆者の住む陸奥の国では、国府は多賀城にあった。塩釜湾に近く海運に便利であったことがここに国府を置いた理由のように思われる。出羽の安倍氏の勢力が陸奥の国で強くなり、この国府は廃れてしまったと思われる。「前九年の役」「後三年の役」の動乱を経て、奥州藤原氏の勢力が確立する。平泉が奥州の中心になる。衰退したが、この多賀城は南北朝あたりまで機能していたと思われる(例の北畠亜顕家もここに赴任していた)。

鎌倉時代になると、頼朝による「奥州征伐」により藤原氏が崩壊、奥州には多数の御家人が分立することになる。伊達家もその一つだったのかもしれない。この分立する支配権を一つに纏め上げたのが米沢の伊達氏であった。米沢よりもっと奥州の中心に近い岩出山に進出するなどして、最終的には仙台を本拠地とした。

都市の形成の歴史を考えるのは結構面白いと思った。