「海夫」(かいふ)、「海人」、「網人」そして「海夫」

海と列島の中世」(網野善彦著)によれは日本の中世において海を活動の中心においていた人々の呼び名に地域性があるという。面白いので紹介しておく。

利根川や霞ヶ浦に近い香取社に残っている南北朝期の文書のなかで「海夫(かいふ)」という言葉がでてくるという。この人々は平安時代以来、香取神社に供祭料を納め、利根川や霞ヶ浦にあった「湊」を特権的に利用した海上交通に携わった人々であったと思われている。

一方、日本海側の北陸地方の海民は「海人」と呼ばれることが多く、琵琶湖から瀬戸内海のかけての海民は「網人」と呼ばれることが多いという。

ところが、「倭寇」(わこう)などといわれた海の武士団として有名な肥前国の松浦党の支配下に、鎌倉時代以来「海夫」と呼ばれる人々がいた。

この呼び名の一致は常陸と肥前(佐賀、長崎)とは陸上の距離はあるが、海上での実質的な距離は近く、両者に交渉があった結果なのかもしれない。