馬子唄の世界(4):相馬流れ山

福島では相馬が名前からして馬との関連が強い。「相馬」と言う言葉の意味はここを見てほしい。また唄の歌詞にもあるが、相馬には妙見さんが実に沢山ある。それについてはここをみてほしい。

相馬流れ山の歌詞:

相馬流れ山 ナーエナーエ(スイー)
習いたきゃござれナーエ(スイースイ)
五月中の申(さる) ナーエナーエ(スイー)
アーノサ 御野馬追いナーエ(スイースイ)

相馬恋しや 妙見様よ
離れまいとの つなぎ駒

しだれ小柳 なぜ寄り掛かる
いとど心の 乱るるに

手綱さばきも 一際目立つ
主の陣笠 陣羽織

小手をかざして 本陣山見れば
旗や纏や 鳥毛の槍も春霞

向かい小山の 崖(がんげ)のつつじ
及びなければ 見て暮らす

駒にまたがり 両手に手綱
野馬追い帰りの 程のよさ

法螺の響きと あの陣太鼓
野馬追い祭りの 勢揃い

馬子唄の世界(3):秋田馬喰節

秋田は馬産が盛んで、民謡も豊富なので馬に関する民謡も多い。秋田馬喰節、秋田馬子唄、秋田馬方節などがある。

秋田馬喰節

1、(ハーイハイ)
ハァー袖から (ハーイ)
ハァー袖へと (ハーイ)
ハァー手を入れて (ハーイ)
ハーさぐるヨー (ハーイハイ)
ハァーこれが (ハーイ)
ハァー馬喰の (ハーイ)
ハー幕の内 (ハーイハイ)

2、ハァー二両で ハァー買った馬
ハァー十両で ハー売れたヨ
ハァー八両 ハァー儲けたヨ
ハー初馬喰

馬の競りの様子が分って面白い。「馬市果てて」も秋田が舞台である。

馬子唄の世界(2):南部馬方節

岩手県を代表する馬の民謡は「南部馬方節」。

南部藩で馬産が盛んになった歴史はここを見てほしい。

馬方節の歌詞:

ハアアーア アアーアーエ
朝の出がけにハアアーエ
山々見ればアーヨー
(ハイーハイ)ハアアーエ
霧のオエハアーエかからぬ
ウーエハア 山も無い
(ハイハイ)

南部片富士 裾野の原は
西も東も 馬ばかり

さても見事な 馬喰さんの浴衣
肩に鹿毛駒 裾栗毛

朝の出がけに 山々見れば
黄金まじりの 霧が降る

ひとり淋しや 馬喰の夜ひき
明日は南部の 馬の市

一夜五両でも 馬方いやだ
七日七夜の 露を踏む

妾もなりたや 馬喰の嬶に
いつの芦毛の 駒に乗る

心細いよ 馬喰の夜道
何時も轡の音ばかり

 

馬子唄の世界(1):三大馬子唄

日本の各地に馬子唄が残っている。これは馬が日常にいて各種の労働に従事していた時代の残照である。その多くの馬子唄の中で三大馬子唄と言われるものがある:

  • 箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川(箱根馬子唄:東海道)
  • 小諸でてみよ浅間の山に 今朝も煙が三筋立つ(小諸馬子唄:信濃路)
  • 坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る(鈴鹿馬子唄:東海道)

権現思想について

日本密教の本を読んでいたら密教の日本的な展開の上で「権現思想」が大きな役割を果たしていることが分った。

その権現思想とは

仏教が輸入され従来の日本の神々と競合し仏教が優位にたってくる状況で、仏教の仏と日本の神々と折り合いが付けられた。日本の神々は仏教の仏が変化したものであるという発想である。これが「権現」である。この発想は奈良時代にもうあったもので、平安時代の「本地垂迹(ほんちすいじゃく)説」の萌芽である。

この権現思想は山嶽信仰で重要になる。例えば、大峯山の本尊は「蔵王権現」(ざおうごんげん)である。この権現は「金剛蔵王権現」(こんごうざおうごんげん)が正確な名前である。

宮城と山形の間にある蔵王山(ざおうさん)の名前の起源もこの「蔵王権現」のように思われる。