AI論議にもっと現実性を持とう

NewScientistの記事である。

記事では

「AIの進展はわれわれを追い越すであろうという論者に対するToby Walshの反論はその客観性や専門性の双方の点で新鮮である。彼は『イヌの思考速度を速めることができたとしても、イヌがチェスをやるということはありそうないこtでおある。』

AIコミュニティーには機械のスピードを現実のヒトの思考とごちゃ混ぜにしている人々があまりにも多い。最速のコンピュータが意図や意思を持つとは考えられないし、ましてや意志を持つなどないであろう。コンピュータが何にその能力を集中し、どのような問題に注目し解決をはかるべきかは依然として人が決めている。高速なAIは知能をもつようになるといった議論に反論するWalshの議論は時機を得たものであり、スピードが全ての特効薬であるという誤った考えをやめるときである。」

A welcome bit of realism in the AI debate

Published 2 September 2020

From Robert Willis, Nanaimo, British Columbia, Canada

 

北斎の103点見つかった:大英博物館が収蔵

今日の朝刊の記事のタイトルである。

葛飾北斎の未公開の素描(デッサン)100点以上がフランスで見つかり大英博物館が収蔵したと3日に大英博物館が発表した。

見つかったのは1829年に「万物絵本大全図」の挿絵として制作された挿絵の作品群103点である。

これらの作品」が制作されたのは「富嶽三十六景」を手がける直前のものである。

オッカムの剃刀(かみそり):付録

前回のブログの続きである。NewScientistの同じ記事の最後のほうに以下のような文章がある:

Francis Crick, a co-discoverer of the structure of DNA, warned that the “simplicity and elegance” of Occam’s razor wasn’t well suited to the messy world of biology. Darwinian evolution by natural selection, for example, is a far more complex theory than just saying all animals are the product of a divine creator, but ultimately, it fits the facts as we know them far better.

DNAの構造の共同発見者であるフランシス・クリックは「『オッカムの剃刀』が言う単純さと華麗さは生物の混沌とした世界にはうまく適用できない。例えば、自然選択を基礎にしたダーウィン進化論は全ての動物は神が創ったものであるという一言よりずっと複雑である。しかし最終的にはダーウィン進化論は全ての動物をずっとよく知りうるという意味で事実に合っている。」

と訳せる。

しかし「全ての動物は神が創ったものである」という言質は果たしてダーウィンの進化論より複雑でないと言えるのだろうか?この言質は「神」という途方もなく複雑なものを導入し、事実の解明を先送りしているだけであるように思える。その意味でダーウィンの進化論は「オッカムの剃刀」が適用された結果である。

オッカムの剃刀(かみそり)

NewScientistの最近の記事を見ていて目に入った記事である。原文はここ。

「オッカムの剃刀(かみそり)」は14世紀の神学者”Williamめ of Ockham “(オッカム村のウイリアム)に帰される物事を考えるときに採用すべき指針である。「同じ現象を説明しようとする二つの説明があったとしたら、ヒトはより簡単な説明の方を採用すべきである。」つまり「剃刀」は余計なものを削ぎ落とすことの比喩である。

この指針はアインシュタインを含む後世の人々によって再認識されたが、「神の存在は論理のみでは跡付けることはできない」とも言った、剃刀のような鋭い論理を展開したオッカムの名で呼ばれている。

この指針は科学と論理学の多くの分野で適用できる。例をあげる。二つのコンピュータ・プログラムが同じ目的を達成できたとするならば、より単純なプログラムを採用すべきである。なぜならより単純の方がエラーを含んでいる確率は小さいからだ。医者は鼻詰まりを訴える患者にたいして稀な免疫系の機能障害よりよくある風邪を想定すべきである。また医学生がよく聞かされる諺として「蹄の音を聞いたならば、シマウマではなくウマを思い浮かべよ。」

「オッカムの剃刀」は法則ではなくあくまでも指針であることに留意すべきである。真実は思った以上に複雑なことが多い。

 

赤壁の戦い:「船酔い」で敗れた?

「船酔い」「車酔い」はヒトが自分の足以外で空間移動をしているときに脳の誤機能として起こる。だからヴァーチャル・リアリティーによる移動、無人自動車、宇宙旅行などでも起こり得る。「船酔い」の機構の解明はこれからも重要なことになる。

ヒトの「船酔い」の歴史は長く、「船酔い」が船を使った戦いの帰趨を決めたこともあるという。その一つが「赤壁の戦い」である。

A Historical View of Motion Sickness—A Plague at Sea and on Land, Also with Military Impact

という論文がある。著者たち(Doreen Huppert等)はギリシア、ローマそして中国の古典を調べ「船酔い」というものの認識、対処法などがどのようなものであったかを推察し、そのような「船酔い」が海戦に果たした影響にも言及している。

中国の歴史の中で有名な「赤壁の戦い」にもこの影響があるという。

この「赤壁の戦い」は北方の覇者である魏の曹操が南下して長紅で蜀の劉備、呉の孫権の同盟軍と戦ったものである。北方の曹操軍は船の戦い苦手で「船酔い」になる兵士が続出した。これを知った同盟軍は曹操の知人と思われる人物に見せかけの解決策を示唆し曹操軍はそれを採用するように謀った。その解決策とは船をお互いに結びつけて固定し船を安定化するというものであった。

その結果同盟軍は曹操軍の船団全体を火責めすることができ、戦いに勝つことができた。

ピラミッドより2000年古い巨大遺跡

昨日の朝刊の新聞記事のタイトルである。

アラビア半島の北部に古い巨大遺跡があることは衛星写真からわかっていたが、マックスプランク人類史科学研究所の研究者たちが現地調査をした。その結果それらの建造物の一つは約7000年前に作られたことが判った。

巨大な石の建造物があるのはアラビア半島北部のネフド砂漠の周辺である。長方形をしており一辺が600メートルもあるものもある(写真はここ)。この建造物はアラビア語で「ムスタティル」と呼ばれているが、何のために作られたかは不明の由。

これらのムスタティルからはウシなどの動物の骨や幾何学模様が描かれた石などが発掘されていて、この地域に住んでいた人々の儀式の場ではなかったのではと研究者たちは推測している(7000年前ごろはアラビア半島は今より湿潤で、当時はここは草原に覆われていたと考えられる)。

わが国における乗馬の習慣(2)埴輪

わが国で乗馬の習慣がいつごろ始まったかという問題を調べている。

今回は馬の埴輪でみる。古墳後期(六世紀)の墳墓の副葬品には馬の埴輪が多い。その中で人が騎乗した姿の馬の埴輪は唯一であるが1例ある。それは石川県小松市にある矢田野エジリ古墳から出土した埴輪である。馬具(ばぐ)で飾られた馬と、馬とは別につくられた騎乗(きじょう)の人物、そして馬を曳(ひ)く馬子(まご)が別々に作られたようである。騎乗者と思われる人物は股を開き両腕を前にだしている。馬子は右腕を挙げている。馬子は従って馬の左に立ち馬を曳いている格好になる。この馬の埴輪はこの古墳で二例見つかっている。

数が少ないが古墳時代後期ごろには乗馬の習慣があったことの証拠である。

わが国における乗馬の習慣

世界史的にみると馬に乗る習慣は馬の家畜化の過程でおきたものである。この家畜化・乗用化は黒海・カスピ海ステップで紀元前4000年あたりのことである。この解明は馬の乗るときにハミを使うがそのハミによる臼歯の磨耗の特徴を調べたことによる。以前のこのブログでもこのことに触れた。

我が国では古墳時代後期(六世紀)の遺跡から鐙や鞍の遺物が沢山出土することからこの時代あたりから乗馬の習慣が始まったと思われている。しかし出土した鞍などは華美なもので実用に供したのかは疑問である。胡服を着て馬を扱っている人物の壁画があるが、これも乗馬ではない。

今回は時代が下るが万葉集(七世紀から八世紀の歌)に現れる馬を歌った歌の中に明らかに乗馬を意味する情景があるか調べてみる。

馬に関する歌は沢山ある。これは当時馬はかなり日常的な風景として存在したことを示唆している。その中で「乗馬」に直接的に触れた歌がある。例えば:

塩津山(しほつやま)打ち越え行けば、わが乗れる、馬そつまづく、家恋(こ)ふらしも

意味: 塩津山(しほつやま)を越えて行くと、私が乗っている馬がつまづきました。きっと、家のものが私のことを想っていてくれるのでしょう。

あきらかに騎乗している馬である。作者は笠朝臣金村(かさのあそんかなむら)という人物である。

関東上空「火球」再び

これも天体現象の記事である。

新聞によれば21日の夜(午後10時半ごろ)、関東地方の上空で流星の中でも明るい「火球」が出現した。

7月には関東地方で午前2時半ごろに「火球」が目撃された。

一般に流星(「火球」はその中でも明るいもの)は彗星が太陽周辺を通過する際に放出された物質が彗星の軌道に沿って残されている中を地球が通過するときにそれらの物質が地球の大気圏と接触することで落下燃焼する現象である。だからその接触する場所は太陽からみたら一定の場所になる。ペルセウス座流星群というのはその場所がペルセウス座の方向にある。スイフト・タットル彗星(109P/Swift-Tuttle)が流星の材料を提供している彗星である。

「火球」という現象は地表からの高度が低く(だから関東地方のみで確認された)大気圏をどの様な経路で落下してきたのか分ると面白い。

小惑星「2020QG」、地球に最接近

今朝の新聞に記事のタイトルである。

火星と木星との間に小惑星帯があり、大きいものだけでも1万個以上の小惑星が存在している。小さいものは無数にあるが、他の大きな小惑星の影響を受け、地球にまで接近するものもある。

今回の記事の小惑星「2020QG」もそのような小惑星の1つだったのだろう。記事によればこの小惑星は直径3~6メートルと自動車なみの小さなもので、最も接近したのは16日午後1時8分(日本時間)、南インド洋上空2590キロであった。この距離は国際宇宙ステーションの高度の7倍強にあたるが、観測史上、小惑星の接近記録としては最小距離との由。

地球の大気圏が高度約500キロであることを考えるとかなり遠くを通過したことになるが、この小惑星の軌道は地球の重力の影響を受けているらしい。