古墳時代の「壷鐙」

滋賀県東近江市の蛭子田遺跡で、5世紀後半~6世紀前半(古墳時代後期)の木製のつぼ鐙が出土し、14日、同県文化財保護協会が発表した(河北新報7月14日)。
同協会は「木製つぼ鐙としては最古級。この地域が乗馬の文化をいち早く導入したことを示すとともに、初期の馬具を考える上で重要」としている。材質は針葉樹で、1本の木をくりぬいて作っていた。高さ20センチ、幅14センチ、奥行き16センチ。つま先に向かって左寄りになる形状から、右足用とみられる。表面は磨かれ、丁寧に仕上げられていた。地下約2メートルの川跡から出土。近くで見つかった須恵器から時期を特定した。

木製つぼ鐙
木製つぼ鐙


日本での鐙の歴史を見ると
日本の「鐙」は6世紀頃、中国、朝鮮半島から伝えられ、初期の原始的な「鐙」が数多く、各地の古墳から出土している。初期の「鐙」は、足を掛けるところが輪状になっている「輪鐙」と呼ばれる木製の物で、その後、木製の物に薄い鉄の板で補強した、木芯鉄張り「輪鐙」が登場し、6世紀末には「鐙」の先端部が壷を横にした形の「壷鐙」が登場する。平安時代になると「壷鐙」の足を乗せる部分が踵まで伸びた「舌長鐙」へと変化し、鎌倉から江戸時代末期まで、日本の「鐙」の主流をなした。この形は日本独特の形状で他ではみられない。平和な時代と共に、実戦用の物がすたれ、金銀象嵌、螺鈿、漆蒔絵の豪華な美術工芸品としても素晴らしい物が作られた。
と言われていて今回の「壷鐙」は壷を縦にしたような形で使うもので特異である。

馬の生物学定義

G.G.シンプソン著「馬と進化」(どうぶつ社)によれば、馬は
動物界(アニマリア)

脊索(コルダタ)動物門

哺乳(マンマリア)動物綱

奇蹄類目(ペリソダクチラ)

馬科(エクイデー)

馬属(エクウス)

馬(エクウス・カバルス)
となる。

原田甲斐供養会

原田甲斐の供養会が9日に営まれた(河北新報12日夕刊)。「寛文事件」で最も謎に満ちた人物が原田甲斐(はらだかい)である。伊達安芸の居城である涌谷では、原田甲斐は反対派の伊達兵部の一味ということになっている。
小説「樅の木は残った」(山本周五郎箸)、「虹の刺客」(森村誠一著)では、酒井雅楽頭(うたのかみ)の兵部を取り込んだ伊達家取り潰しの策動を察知した原田甲斐は、伊達安芸のように伊達家が兵部によって藩政が壟断されていることを幕府に訴えることで幕府介入のきっかけを与えてしまうことを心配していた。そこで「なにも無かった」ことで事態を収拾しようとした。刃傷事件のあった酒井邸で居合わせた伊達藩の重臣を原田甲斐は斬り殺して沈黙させてしまう。原田甲斐自身も駆けつけたものたちによって殺されてしまう。生き残ったのは古内志摩(ふるうちしま)唯一人である。かれは、この刃傷事件にはなぜか沈黙している。
伊達安芸はこの事件では正義派ということなるが、原田家は大悪人としてお家断絶となる。真実は分からないが歴史に埋もれさせるのには惜しい人物である。
供養会はいつもは命日の4月に行われるが震災の影響で7月になった。場所は「荘厳寺」。ここには原田邸にあった山門(逆さ門)が移設されて原田家とは縁が深いことからだと説明があった。原田邸は現在の高等裁判所の敷地である。

「戦争に征った馬たち」

表題の「戦争に征った馬たち」(著者:森田敏彦)という著書があることを今日の新聞の書評欄で知った。馬とヒトの出会いは最初は食料としての馬だったと云われている。世界中の遺跡で馬を食料としていた証拠が見つかっている。その次が軍馬である。世界史的にみても、ローマ帝国から両世界大戦まで馬は戦場で「武器」として使われてきた。日本においても、鎌倉時代から太平洋戦争まで馬は戦争目的のために使われていた。
この著書はとくに日本の近代の日露戦争・日中戦争・アジア太平洋戦争で戦地に征った馬たちの運命を全国に残っている「軍馬碑」(全国で950基あるそうだ)を基に調べている。ぼう大な数の馬が「出征」していった。兵士は帰還した人もいたが、帰還した馬はゼロに近い。
軍馬、いわば「動物兵士」を消耗品とした近代の戦争の実相がある。これは「人兵士」の扱いにも通じるものである。

春・夏・秋・冬

現在の日本では一年を春・夏・秋・冬の季節に分ける。何時からいつまでを「春」というのだろうか?これが今日のテーマである。
江戸時代の太陽太陰暦では、天体の月の満ち欠けに合うように「月」の初めとその長さが決められたが、太陽の動きにも合わせるようにした。そのため、「二十四節気」という太陽の動きに基づく節目を太陰暦に導入した。「二十四節気」は
立春(りっしゅん)
春分(しゅんぶん)
立夏(りっか)
夏至(げし)
立秋(りっしゅう)
秋分(しょうぶん)
立冬(りっとう)
冬至(とうじ)
など太陽の動きによる節目である。例えば、冬至は一年の内で南中の太陽の高度が最も低くなる日であるし、逆に、夏至では高度が最も高く日である。
二十四節気では、各「立」と「分」の間に二つの節が入る。
たとえば立春と春分の間には
雨水(うすい)
啓蟄(けいちつ)
の二つの節がはいる。このようにして6X4=24になる。
日本の春・夏・秋・冬はこの二十四節気を基に決められる。すなわち
春:立春から立夏まで
夏:立夏から立秋まで
秋:立秋から立冬まで
冬:立冬から立春まで
となる。立春は二月上旬であるので、実感の季節感からすると、この季節区分は少し前倒しである。だから、「暦の上では、春ですが…」となる。立秋は八月上旬であるので、この事情は秋も同じである。二十四節気は中国起源であるのでもっと緯度の高い北京あたりの季節に対応したものであるという説があるが、秋については、妥当であるが、春は逆センスになる。
僕はこれを以下のように考える。
そもそも天体の運行に基づく暦を作ろうとした文明には四季折々の風物から季節をはかる自然暦の環境が無かった。だから、「立春」などの節も単に観念的なものであったと思う。 ところが、それを輸入した日本には、以前から自然暦の長い伝統があった(本居宣長「真暦考」)。そこで輸入した暦に自然暦の対応をせざるを得なくなった。そこで上のような季節を配当した。これが僕の説である。
因みに西欧では
春:春分から夏至まで
夏:夏至から秋分まで
秋:秋分から冬至まで
冬:冬至から春分まで
となる。こちらの方が日本の季節感にマッチする季節区分である。

世界最長は6.7m

馬の尾は伸びる。足に纏わり付くので切るが、伸ばせば伸びる。伸ばした結果の世界最長記録はなんと6.7mである。アメリカ産のパロミノ(Palomino)種で名前はチヌーク(Chinook)という。

ギネス的馬:ブラバンドとファラベラ

馬には、こんなに重いのかという馬もあれば、こんなに小さいのかという馬もいる。今回はそんな馬を紹介する。題して「ギネス的馬」である。
まず、重量級は、「ブラバンド」(Brabant)。原産国がベルギーであるのでベルギー輓馬(ばんば)(Belgian draft)とも言われる。画像のように巨大な馬である、記録によれば1459kgもあったものもある。1トン以上もある馬である。もっぱらベルギーでは農作業に使われていた。体高は162~170cmと大きい。

Belgian draft
Belgian draft


超軽量級はファラベラ(Falabella)である。体高が40cm、体重は12kgと実に小さい。アルゼンチンのファラベラ家に由来するので、この名前がある。子供が馬に親しむのに丁度良い大きさである。

Falabella
Falabella


これらは、いずれもヒトの目的によった品種改良の結果であるが、馬から見ると迷惑なことかもしれないと、チラッと思った。

馬:世界最古の写真

世界最古の写真の一つに馬が写っている。
世界最古の写真は1827年7月にニセフォール・ニエプス(Joseph Nicephore Niepce)が撮影したフランスのサン・ルゥ・ド・ヴァレンヌ村にあった領地の実験室から眺めた「実験室からの眺め」という写真であるが、ほぼ同じ時にニエプスによって撮影された馬の写真がある。これは風景にある馬ではないが、ニエプスが版画作品を撮影したものである。


正確な日付ではこちらが古いが風景を撮影した「実験室からの眺め」が写真の最古にふさわしい作品のように思われる。露出時間が超長かったので朝日に照らされている壁と夕日に照らされている壁の両方が一枚の写真になっている。

歯槽間縁(しそうかんえん)

馬の歯並びの中で歯のない部分を「歯槽間縁」(しそうかんえん)といいますが、結構な隙間ですのでここにハミを咬ませます。馬の歯並びは
3133
前—-
3133
これは前歯3、犬歯1と続いて、「歯槽間縁」があり、臼歯が3,3と続くわけである。

歯槽間縁
歯槽間縁

この「歯槽間縁」は馬だけの特徴で、これを発見してハミを発明したのはヒッタイト人であると言われている。紀元前2000年ころのことである。だから今から4000年前のことである。4000年間の進化で「歯槽間縁」が生成されたとは考えにくい。
また、ヒトにハミを強制されたことがない「シマウマ」にも「歯槽間縁」はあるらしいので、この間縁はヒト以前の馬に具わった特徴だと考えられる。
一方、馬にとってこの「歯槽間縁」はどんな役割をしているのかは不明である。馬の顔が長くなったためか、単に要らなくなった歯の退化とも考えられる。事実牡馬にはあるが、牝馬には犬歯がない。これは退化だと思う。
ブタの歯並びが哺乳類の基本であるが馬と比べるとブタは
3143
前—-
3143
であるので馬の臼歯は一本少ないことになる。「歯槽間縁」は臼歯一本分より可成り広いし、ヒトなどもブタに比較すると臼歯が一本足らないが、「間縁」はない。

歌川国芳の馬

浮世絵師歌川国芳は渡辺崋山らの蘭学者との交流があり、西洋画の影響も指摘されている作品もある。以下は「近江の国の勇婦於兼」という浮世絵である。遠近法によるリアルな馬が描かれている。

「近江の国の勇婦於兼」
「近江の国の勇婦於兼」


江戸時代の「西洋画」としては、司馬江漢(しばこうかん)が知られているが、国芳にも西洋画の影響があるとは面白い。