原田甲斐の供養会が9日に営まれた(河北新報12日夕刊)。「寛文事件」で最も謎に満ちた人物が原田甲斐(はらだかい)である。伊達安芸の居城である涌谷では、原田甲斐は反対派の伊達兵部の一味ということになっている。
小説「樅の木は残った」(山本周五郎箸)、「虹の刺客」(森村誠一著)では、酒井雅楽頭(うたのかみ)の兵部を取り込んだ伊達家取り潰しの策動を察知した原田甲斐は、伊達安芸のように伊達家が兵部によって藩政が壟断されていることを幕府に訴えることで幕府介入のきっかけを与えてしまうことを心配していた。そこで「なにも無かった」ことで事態を収拾しようとした。刃傷事件のあった酒井邸で居合わせた伊達藩の重臣を原田甲斐は斬り殺して沈黙させてしまう。原田甲斐自身も駆けつけたものたちによって殺されてしまう。生き残ったのは古内志摩(ふるうちしま)唯一人である。かれは、この刃傷事件にはなぜか沈黙している。
伊達安芸はこの事件では正義派ということなるが、原田家は大悪人としてお家断絶となる。真実は分からないが歴史に埋もれさせるのには惜しい人物である。
供養会はいつもは命日の4月に行われるが震災の影響で7月になった。場所は「荘厳寺」。ここには原田邸にあった山門(逆さ門)が移設されて原田家とは縁が深いことからだと説明があった。原田邸は現在の高等裁判所の敷地である。