遊牧経済文化と天文学

日本では近世後半の西洋の知識が流入するまで天体現象に合理的な説明を創作すること(これが天文学である)がなかった。前々からその理由について考えてきているが、日本のような農耕経済文化では「天体は必要なかった」。これが理由のように考えている。農耕経済文化では人々は土地に執着する。村に定住しその狭い環境を熟知して農耕をおこなう。四季折々の変化もそこにある。

一方紀元前3500年ごろ中央アジアの西端で起きた遊牧経済文化は馬とワゴンを持ち家畜化された動物を飼育する文化である。広大なユーラシアステップが舞台であり極めて機動性の高い生活をしていた。土地に対する執着は弱く、定住地をもたない。このような環境の中で四季の変化や方向を知る手立てとしてどこにいても見えた天体に注目したのであろう。

世界史的にみても最初の農耕経済文化を築いたシュメール文化と比較して遊牧経済文化であったバビロニアの天文の知識は群を抜いている。これらの知識がギリシアにもたらされ天体現象の合理的な説明を創作する天文学が誕生した。

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