オッカムの剃刀(かみそり):付録

前回のブログの続きである。NewScientistの同じ記事の最後のほうに以下のような文章がある:

Francis Crick, a co-discoverer of the structure of DNA, warned that the “simplicity and elegance” of Occam’s razor wasn’t well suited to the messy world of biology. Darwinian evolution by natural selection, for example, is a far more complex theory than just saying all animals are the product of a divine creator, but ultimately, it fits the facts as we know them far better.

DNAの構造の共同発見者であるフランシス・クリックは「『オッカムの剃刀』が言う単純さと華麗さは生物の混沌とした世界にはうまく適用できない。例えば、自然選択を基礎にしたダーウィン進化論は全ての動物は神が創ったものであるという一言よりずっと複雑である。しかし最終的にはダーウィン進化論は全ての動物をずっとよく知りうるという意味で事実に合っている。」

と訳せる。

しかし「全ての動物は神が創ったものである」という言質は果たしてダーウィンの進化論より複雑でないと言えるのだろうか?この言質は「神」という途方もなく複雑なものを導入し、事実の解明を先送りしているだけであるように思える。その意味でダーウィンの進化論は「オッカムの剃刀」が適用された結果である。

オッカムの剃刀(かみそり)

NewScientistの最近の記事を見ていて目に入った記事である。原文はここ。

「オッカムの剃刀(かみそり)」は14世紀の神学者”Williamめ of Ockham “(オッカム村のウイリアム)に帰される物事を考えるときに採用すべき指針である。「同じ現象を説明しようとする二つの説明があったとしたら、ヒトはより簡単な説明の方を採用すべきである。」つまり「剃刀」は余計なものを削ぎ落とすことの比喩である。

この指針はアインシュタインを含む後世の人々によって再認識されたが、「神の存在は論理のみでは跡付けることはできない」とも言った、剃刀のような鋭い論理を展開したオッカムの名で呼ばれている。

この指針は科学と論理学の多くの分野で適用できる。例をあげる。二つのコンピュータ・プログラムが同じ目的を達成できたとするならば、より単純なプログラムを採用すべきである。なぜならより単純の方がエラーを含んでいる確率は小さいからだ。医者は鼻詰まりを訴える患者にたいして稀な免疫系の機能障害よりよくある風邪を想定すべきである。また医学生がよく聞かされる諺として「蹄の音を聞いたならば、シマウマではなくウマを思い浮かべよ。」

「オッカムの剃刀」は法則ではなくあくまでも指針であることに留意すべきである。真実は思った以上に複雑なことが多い。

 

赤壁の戦い:「船酔い」で敗れた?

「船酔い」「車酔い」はヒトが自分の足以外で空間移動をしているときに脳の誤機能として起こる。だからヴァーチャル・リアリティーによる移動、無人自動車、宇宙旅行などでも起こり得る。「船酔い」の機構の解明はこれからも重要なことになる。

ヒトの「船酔い」の歴史は長く、「船酔い」が船を使った戦いの帰趨を決めたこともあるという。その一つが「赤壁の戦い」である。

A Historical View of Motion Sickness—A Plague at Sea and on Land, Also with Military Impact

という論文がある。著者たち(Doreen Huppert等)はギリシア、ローマそして中国の古典を調べ「船酔い」というものの認識、対処法などがどのようなものであったかを推察し、そのような「船酔い」が海戦に果たした影響にも言及している。

中国の歴史の中で有名な「赤壁の戦い」にもこの影響があるという。

この「赤壁の戦い」は北方の覇者である魏の曹操が南下して長紅で蜀の劉備、呉の孫権の同盟軍と戦ったものである。北方の曹操軍は船の戦い苦手で「船酔い」になる兵士が続出した。これを知った同盟軍は曹操の知人と思われる人物に見せかけの解決策を示唆し曹操軍はそれを採用するように謀った。その解決策とは船をお互いに結びつけて固定し船を安定化するというものであった。

その結果同盟軍は曹操軍の船団全体を火責めすることができ、戦いに勝つことができた。

ピラミッドより2000年古い巨大遺跡

昨日の朝刊の新聞記事のタイトルである。

アラビア半島の北部に古い巨大遺跡があることは衛星写真からわかっていたが、マックスプランク人類史科学研究所の研究者たちが現地調査をした。その結果それらの建造物の一つは約7000年前に作られたことが判った。

巨大な石の建造物があるのはアラビア半島北部のネフド砂漠の周辺である。長方形をしており一辺が600メートルもあるものもある(写真はここ)。この建造物はアラビア語で「ムスタティル」と呼ばれているが、何のために作られたかは不明の由。

これらのムスタティルからはウシなどの動物の骨や幾何学模様が描かれた石などが発掘されていて、この地域に住んでいた人々の儀式の場ではなかったのではと研究者たちは推測している(7000年前ごろはアラビア半島は今より湿潤で、当時はここは草原に覆われていたと考えられる)。

関東上空「火球」再び

これも天体現象の記事である。

新聞によれば21日の夜(午後10時半ごろ)、関東地方の上空で流星の中でも明るい「火球」が出現した。

7月には関東地方で午前2時半ごろに「火球」が目撃された。

一般に流星(「火球」はその中でも明るいもの)は彗星が太陽周辺を通過する際に放出された物質が彗星の軌道に沿って残されている中を地球が通過するときにそれらの物質が地球の大気圏と接触することで落下燃焼する現象である。だからその接触する場所は太陽からみたら一定の場所になる。ペルセウス座流星群というのはその場所がペルセウス座の方向にある。スイフト・タットル彗星(109P/Swift-Tuttle)が流星の材料を提供している彗星である。

「火球」という現象は地表からの高度が低く(だから関東地方のみで確認された)大気圏をどの様な経路で落下してきたのか分ると面白い。

小惑星「2020QG」、地球に最接近

今朝の新聞に記事のタイトルである。

火星と木星との間に小惑星帯があり、大きいものだけでも1万個以上の小惑星が存在している。小さいものは無数にあるが、他の大きな小惑星の影響を受け、地球にまで接近するものもある。

今回の記事の小惑星「2020QG」もそのような小惑星の1つだったのだろう。記事によればこの小惑星は直径3~6メートルと自動車なみの小さなもので、最も接近したのは16日午後1時8分(日本時間)、南インド洋上空2590キロであった。この距離は国際宇宙ステーションの高度の7倍強にあたるが、観測史上、小惑星の接近記録としては最小距離との由。

地球の大気圏が高度約500キロであることを考えるとかなり遠くを通過したことになるが、この小惑星の軌道は地球の重力の影響を受けているらしい。

無限階段と無限音階

エッシャーの話がでたので関連するだまし絵とだまし音階の話をしたい。

まず「無限階段」:原理はこれた。作品を一つ。

この「無限階段」に似たものに「無限音階」がある。床屋の看板にあるが単にそこで回転しているだけなのにパターンは常に上昇しているように見える。これを音階として表現したものである。

実例はここにある。

ヒトの耳の可聴音域は約20ヘルツから2000ヘルツで、最も感度かよいのは1000ヘルツである。20ヘルツ以下の音や2000ヘルツ以上の音はヒトの耳には聞こえない。単音で周波数が上昇する音を聞くと音階が上昇していることを認識するがこの単音は2000ヘルツを越えるとヒトには聞こえなくなる。「無限」ではない。ところが複数の単音を次から次に発生させ、常に可聴音域に周波数が上昇する単音があるようにすると、ヒトは常に上昇する音が出てると錯覚する。

おれが「無限音階」の原理である。

この「無限に高く(低く)なっていく音」は1964年にベル研究所のRoger N. Shepardが考案した「1オクターブ上がっても最初と同じに聞こえる音」によるもので「シェパードトーン(無限音階)」と呼ばれている。

 

国府・多賀城と海との関係

律令制のもとで国府が各地に作られたが、陸奥の国府は現在の多賀城市(多賀城跡)に設置された。国府の設置された場所はそれなりの理由で選択されたと思われるが、多賀城のばあいは何であったのだろうか?

それは海かもしれない。多賀城が作られた8世紀ごろの海岸線についてははっきりしないが、縄文時代まで遡ると海岸線がずっと内陸にあったらしく現在は内陸になっている近郊の利府や岩切といったところが海岸線であったらしい。多賀城の創建当時はかなり海岸線に近いところに建てられたのではないかと思われる。

海が近いと便利なことは一つは海上交通の便がよいことであり、二つ目は海産物とくに塩が身近に得られることである。

海上交通では太平洋側は大変だったはずで、日本海側の中世の「廻船」に比較して近世になってようやく「東廻り」が開拓されたほどだから8世紀ごろは現実的な問題となっていなかったと思われる。

塩の問題が面白い。国府が行政組織であれ軍事組織であれ多くの人間が常駐しているわけで「兵糧」の問題が深刻であったはずだ。特に塩は重要なもので近くに塩が得られる場所があると都合がよい。塩釜の製塩がいつごろから始まったのははっきりしないが、多賀城に近い塩釜神社では原始的な製塩法である「藻塩焼神事」(もしおやきしんじ)が現在も行われており、製塩の古さを示唆している。塩が身近に得られるところは国府に相応しい場所と考えたのではないか。

核兵器禁止条約批准44ヵ国目:セントクリストファー・ネビス

今朝の新聞で目に留まった記事のタイトルである。

この条約の発効には最低でも50ヵ国での批准が必要であるが、セントクリストファー・ネビスでの批准で、条約の発効にはあと6ヵ国となった。

核兵器禁止条約は2017年に122ヵ国によって採択されたが、50ヵ国目の批准書が国連に寄託された後90日で発効する。

セントクリストファー・ネビスはカリブ海にある国で人口約5万3千人。カリブ共同体(カリコム)に加盟している。