ウマはホース(29):ドン

ロシアのウマを紹介する。今回はドン(Don)、画像はここ

このウマは伝統的にはコザック騎兵に係わってきた。今日では長距離の競技に使われていて、この品種の元品種よりずっと優秀である。ロシア革命後に品種改良が試みられたブジョンヌイ種に大きな影響を与えた。

この品種は強靭なモンゴル平原のウマと軽快で暑さに強いアハルテケやペルシャ・アラブ種との交配でできたものである。19世紀の初めには、サラブレッドや優秀なアラブ半血種との交配による改良がなされた。20世紀以降は僅かに外部の影響があるだけである。

ドンは強靭なウマで飼育しやすく凍結したドン平原で生存そる能力を持っている。適応能力があり従順であるが、身体的には魅力に欠けるところがある。優雅ともいえないし乗りやすいともいえないぎこちない動きに繋がる身体的な欠陥があるが、過酷な状況でも有効に働く資質を持っている。

 

不規則変光星ベテルギウスの減光

オリオン座の主星であるベテルギウスが著しい減光をしていて、星の末期症状にありこれから超新星爆発に繋がるのではないかという話題が散見している。

元々ベテルギウスは赤色超巨星の不規則な脈動変光星である。表面温度は3600度程度で太陽(5500度)と比較するとずっと低温であるが、光度は太陽の90000倍と実に明るく、大きさは太陽の1000倍と大きな恒星で、ブヨブヨした恒星である。

この星は通常400日程度の不規則な変光を繰り返している。変光の幅は小さいときもあれば大きなときもあるといった具合で、大きな幅のときは1等級程度になる。この通常の変光は星の内部の核融合は一定で発す光も一定であるが、その光が表面に達すまでにさまさまな機構で強弱を受けることで起こる。

今回の減光はかなりの幅である。観測テータはここにある。1等級近い減光であるが、ごく最近では増光に転じているので、多分これは通常の変光現象の1つのエピソードであったのであろう。

長期に亘る変光観測のデータも興味あるものである。一例がここにある。

 

ウマはホース(28):アハルテケ

今回はユーラシア大陸のユニークなウマを紹介する。名前はアハルテケ(AKHAL-TEKE)、カスピ海の東に位置するトルクメニスタン原産である。画像はここで。

アハルテケは世界で最も未知なウマで、ウマの原型の第三型の現代型である。薄い皮膚、細かな体毛そして暑さに強い砂漠ウマの特徴を持っていて、アラブ種の”Munaght”競走馬との関連もありえるとされている。3000年以上に亘り現在のトルクメニスタンの地域で生息していたことが分っている(トルクメニスタン共和国の国章にもアハルテケが描かれている)。

アハルテケはカラクム砂漠のオアシスの周辺で飼育されていて、その主産地はアシルバードである。このウマは他の品種の多くに影響を与えているが、他から影響はない。サラブレッドとの交配を試みたが成功しなかった。トルクメニスタンの人々はアハルテケを競馬に使う。そのようなウマの世話は大変である。アルファルファそしてヒツジの脂肪、卵、オオムギ、そして揚げたドーナッツからなるペレットを餌としてあげ、寒さや暑さの防御のためにフェルトで包んでやる。

アハルテケは西側の理想的なウマの体型を殆んどとっていないけれど、体型は独特である。メタリック金褐色の体色はこの品種の特徴である。アハルテケは底なしのスタミナと持久力を持っている。最低の食料と水で84日かけてアシルバードからモスクワまで4152kmを走破した。

ミツバチの「8の字」ダンスは面白い(2)

昨日のブログでミツバチの「8の字」ダンスについて書いた。太陽と餌場のなす角度とダンスの胴震いをしながら進む方向との対応関係を以下のように例を上げて説明した。

例をあげる。巣面にかけ時計がありその面上でミツバチがダンスをしていると思ってみよう。

仮に太陽が南にあり、餌場も南あるとするとミツバチはこのかけ時計の12時の方向に向かって胴震いをしながら進む。反対に餌場が北にあるとすると、ミツバチはこのかけ時計の6時の方向に向かって進む。餌場が西の方向では、ミツバチはこのかけ時計の3時の方向に向かって進む。餌場が東の方向ならば、ミツバチは9時の方向に向かって進む。

この通りであるが、角度をかけ時計の場合は12時から時計回りに測るとすると、3時は90度で、9時は270度となる。一方太陽と餌場のなす角度を南にある太陽から時計回りに測ると西は90度、東は270度になる。これはミツバチが示した事実である。

しかし、太陽と餌場のなす角度を南にある太陽から反時計回り測ると西は270度、東は90度になる。これは事実に反する。

「右利き」「左利き」は謂わば好みの問題であるが、ここの「時計回り対応」と「反時計回り対応」は話し手と聞き手のコミュニケーションの問題を含んでいる。例えば、話し手が「時計回り対応」を取っていて、聞き手が「反時計回り対応」をとっているとすると、聞き手のミツバチは餌場と反対方向に飛んでいってしまう。だからこの対応関係はミツバチの世界ではユニヴァーサルであるはずだ。なぜ「時計回り対応」を採用したのであろうか?

ミツバチの「8の字」ダンスは面白い

前日のブログでミツバチの「8の字」ダンスについて最新の研究成果を紹介した。

この「8の字」ダンスは動物のコミュニケーションの問題として面白い。

餌場を見つけたミツバチは「8の字」ダンスで、巣からその餌場までの距離と方向を仲間に知らせる。

honeybee
「8の字」ダンスと胴震い(waggle)-オリジナル論文より

まず距離の伝達である。遠くから帰ってきたミツバチはゆっくりとした頻度で「8の字」ダンスをし、近くから帰ったミツバチは活発にダンス(頻度が高い)をする。つまり、ダンスの頻度は距離に反比例する。実際はダンスの半ばで行う胴震い(waggle)のときに発する「ブーン」という音の発生頻度を仲間は聞き、距離推定に使っているらしい。

次に方向の伝達である。これも結構面白い。

巣面は地面に対して垂直になっている。餌場から帰ってきたミツバチはこの巣面でダンスをする。そのダンスのどう胴震い(waggle)をしながら進む軸(上の図)の方向と垂直とのなす角度が、仲間が巣を出たとき取るべき太陽と餌場との角度になる。

例をあげる。巣面にかけ時計がありその面上でミツバチがダンスをしていると思ってみよう。

仮に太陽が南にあり、餌場も南あるとするとミツバチはこのかけ時計の12時の方向に向かって胴震いをしながら進む。反対に餌場が北にあるとすると、ミツバチはこのかけ時計の6時の方向に向かって進む。餌場が西の方向では、ミツバチはこのかけ時計の3時の方向に向かって進む。餌場が東の方向ならば、ミツバチは9時の方向に向かって進む。

このようにして仲間は巣のなかで太陽を見てない状況であるが、仮に巣を出て太陽を見てどの方向にいったらよいかの情報を得ることができる。

このようにミツバチは直接見えない事柄についてコミュニケーションをしている。

 

 

種によって違うミツバチダンス

K.v.フリッシュ著「ミツバチの不思議」の中でも紹介されているが、ミツバチは餌場を発見すると巣に戻りそれを仲間に知らせる。その方法は「8の字」ダンスで餌場の方向と距離(ダンスの頻度が距離に反比例する。つまり近いと頻度が高く、遠いと頻度は低い。)を知らせる。この発見はカール・フォン・フリッシュでこれでノーベル医学・生理学賞を受賞した。

honeybee
「8の字」ダンスと胴震い(waggle)-オリジナル論文より

今日のブログのタイトルは今日の新聞記事の見出しである。この「8の字」ダンスに方言があるという記事である。この方言を発見したのはドイツ・ビュルツブルグ大学などの研究者で、トウヨウミツバチ、コミツバチ、そしてオオミツバチの三種の「8の字」ダンスを比較した。観察はこの三種がおなじ場所にすむインド南部で行われた。その結果、同じ距離にある餌場を仲間に知らせるときのダンスが三種で異なっているということを突き止めた。

元々この三種は巣からの行動半径が異なっていて、トウヨウミツバチの行動半径は約1000mで、コミツバチでは2500mであり、オオミツバチでは3000mと長くなる。

発見はこうだ:

餌場が800mのところにあったとしよう。

これに対してトウヨウミツバチはコミツバチよりゆっくりとした頻度でダンスをして、オオミツバチはこのコミツバチよりさらに速い頻度のダンスをする。

つまり餌場が800mと同じであっても

行動半径の短いトウヨウミツバチにとって「遠いところだよ」となり、コミツバチにとっては「まあまあの距離だよ」となるし、行動半径の長いオオミツバチにとっては「近くだよ」となる。

このオリジナルの論文はここにある。

 

ウマはホース(27):アラブ

今回はアラブ種を紹介したい。

アラブ種は世界中のウマの源泉であると考えられていて、サラブレッドの主たる基礎になった品種であることはよく知られている。画像はここで。

アラビア半島では少なくとも2000年前からアラブ種のウマたちによる競馬が行われていた。これは美術品の存在や「砂漠のウマ」と密接に関係したベドウィンの口承によって分っている。影響力の強いアラブ種の血は七世紀に起こったイスラムの侵攻によって広く拡がった。その結果、アラブ種は世界中のウマの発展に強く寄与することになった。

アラブ種は容姿は美しく一度みたら忘れ難いウマである。このユニークな外見は体型と基礎骨格の構造によって決まっている。通常のウマでは肋骨が18、腰椎が6、そして尾椎が18であるのに対して、アラブ種は17-5-16である。またこのことは尾の付け根の部分が下がらないで断崖絶壁のようになっている理由である(写真をみよ)。スタミナは抜群であり、動きは「浮いてる」ようにスムーズである。肺活量や肢からみた持久力や穏やかさ故にアラブ種は長距離やエンジュランス用のウマとして選択される。従兄弟になるサラブレッドほど速くはないが、アラブ種とアングロ・アラブ種に限定した単純競馬は世界中の多くのところで熱狂的に行われている。

アファナシェボ文化とトカラ語

前日の記事でアファナシェボ文化に触れたがこの文化圏はトカラ語派圏と重なる地域である。アファナシェボ文化圏はシベリア・ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォで最初に発掘調査されたが、現在のモンゴル西部、新疆ウイグル自治区北部、カザフスタン中東部にまで広がっていた。だからモンゴルといっても西端が含まれるのにすぎない。

この地域は西暦800年ごろ死語になったインド・ヨーロッパ語族の一つであるトカラ語圏と重なる。トカラ語派を話す人たちはミイラのDNA型鑑定の結果、アファナシェヴォ文化を担った集団と非常に近く、個体の7割が南シベリアに特徴的なミトコンドリアDNAを持っていたため、北方から南下して来たことが明らかになった。

5000年前から酪農?:東アジア草原地帯

今日の新聞記事のタイトルである。記事によれば、ドイツ・マックスプランク人類史研究所の国際研究グループの発見である。

研究グループは東アジアの草原地帯の一角であり、今も馬乳などの乳製品を沢山消費しているモンゴルで、古い時代の遺跡から見つかったヒトの歯の歯石の成分を解析した。

その結果、紀元前3000年ごろのアファナシェボ文化の遺跡から見つかった歯の歯石からウシやヒツジそしてヤギなど反芻動物の乳に含まれるタンパク質の成分が検出されたという。従来は紀元前1300年ごろと思われていたものである。

また馬乳のタンパク質の成分を含む歯石は紀元前1200年ごろと新しいこともわかった。

世界史的に見ると紀元前4000-3500年ごろはウクライナ周辺のポントス・カスピ海ステップでインド・ヨーロッパ祖語の原型を話し馬に乗る習慣を得た遊牧の人々がドナウ川河口周辺の古ヨーロッパに侵入した時期である。この人々の移動は東にも向かったはずで、東アジアの草原地帯に到達したのが紀元前3000年ごろということか?

 

司馬江漢:火星までの距離

司馬江漢著 『和蘭天説 (Oranda tensetsu)』寛政8年 (1796)の中で地球から火星までの距離として

三千四百二十六万五千一百二十五里

と記している。一里を4kmとするとこれは

1億3706万km

となる。

火星が地球に最も近くにくるときの距離は

5759万km~1億142万kmであるので司馬江漢が記した値はそんなにおかしな値ではない。典拠は何であろうか?