170万年前に温泉料理?

今朝の新聞の記事のタイトルである。副題で「人類、火を使う前に食べた可能性」とある。

人類が火を使ったのは70万年前あたりと思われているが、それ以前に温泉のお湯を使って調理をしていたのではという話である。

ボストンのMITの研究者たちは2016年、南アフリカ・タンザニアのオルドバイ渓谷で発掘調査をした。ここではこれまで猿人や原人などさまざまな人類の化石が見つかっている。アィナラ・システィアガ博士たちは人類の遺跡がある約170万年前の地層から採取した岩石の付着した有機物を解析した。

その結果、温度が80度以上のお湯のなかでしか生育しない微生物が作り出す有機物が付着していることが分った。これは遺跡に温泉があったことを示す証拠であると研究グループは考えている。

人類はこの温泉を何らかのかたちで利用していたにちがいない。その一つが調理だ。「温泉たまご」だって作れたはずだ。

 

落語「鰍沢(かじかざわ)」

落語の話がでたのでもう一つ落語の話題を書くこにする。

「鰍沢(かじかざわ)」という演題の落語がある。「古典落語 正蔵・三木助集」で読める。

僕は山梨県に住んでいたことがあるので鰍沢(かじかざわ)というマイナーな地名は知っていたが、この地名を知って人は多くはないように思う。

近世ではこの地名は江戸あたりでも知られていたらしく、この話は園朝が幕末のころ「三題噺」の一つとしてまとめたものである由。以前富士川の水運のことを述べたが、鰍沢がその水運で活気付いていたそんな時代の話である。

「御の字(おんのじ)」:落語「大工調べ」から

似たような成句に「御の字」というものがある。落語の「大工調べ」(古典落語:小さん集)を読んでいたときに出会った言葉である。

落語では

与太郎が家賃を一両二分と八百文もためてしまって大家に大工道具をもっていかれてしまった。仕事ができたのでこの借金を払って大工道具を取り返そうとする。棟梁が手元に一両二分しかなく、残りの八百文をどうするか。大工の与太郎とその棟梁の政五郎の会話である(二分は二分ノ一両、八百文は五分ノ一両)。

「じれッてなあこの野郎、八百足りねえと、こういうのか」

「あッそうだ、いやあ棟梁、勘定がうめえな」

「張り倒すぞ、この野郎。一両二分と八百ッとこィなあ、八百持ってって言い訳するんじゃァねんだ、一両二分持ってくんだい、八百ぐれぇおんの字だよ」

「なんだ、おんの字てえなあ」

この後の政五郎の説明はなにかよくわからないが、「(一両二分持って行けば)、八百文足りなくても十分だ」だという意味で「御の字」を使っている。

 

 

成句:「以って瞑すべし」(もってめいすべし)

「充分に満足すべき内容であった。」という意味を書こうとしてこの成句が頭に浮かんだ。出典は何かなと思って広辞苑を調べてみた。

広辞苑では出典はないが、本来の意味として:

「それだから心残りなく成仏できるだろうの意で、物事が非常にうまくいったから、死んでもかまわない気持をいう。」

とある。

現在のわれわれはものごとの完成度に対して、この成句は自分を納得させる意味合いに使うことが多いように思う。

 

米と塩を運ぶ:富士川の水運

利根川のことを書いたが、この川を使った水上輸送はどうようなものであっただろうか?

近世における利根川の水上輸送が果たした役割が大きかった故に、この川を舞台に博徒の抗争を描いた講談「天保水滸伝」のようなフィクションも生まれたのであろう。

利根川は東北地方の米を江戸に運ぶ「東廻り」の海上輸送航路の一端を担っていたように思われるが、具体的なイメージに乏しい。

水運の面で資料が豊富なのは富士川の水運である。

富士川の水運は慶長12(1607)年京都の豪商角倉了以(1554~1614)による水路開拓に始まる。鰍沢(山梨県南巨摩郡鰍沢町、富士川右岸)、青柳(右岸、鰍沢町の北隣)、黒沢(左岸、鰍沢町の南隣)の富士川三河岸から駿河岩淵(庵原郡富士川町)まで18里(72km)に舟運の道ができた。

富士川舟運の主な積荷は「下げ米、上げ塩」と呼ばれ、下げ米は信州、甲州にある幕府天領からの年貢米(御城米;おしろまい)、上げ塩は瀬戸内の塩が中心だった。鰍沢より北への輸送は中馬(馬を使った民間の運輸労働者)で、当時、塩の中継地として殷賑を極めた韮崎宿に出た。

富士川の輸送に使われていた船は「高瀬舟」で、下り荷の米は川の流れでよいとしても上り荷の輸送には人力を使った。その上り荷の塩は一俵六貫目(12.5kg)入りで、一艘積荷は40俵止めとなっていた。岩淵から鰍沢への上りに4~5日を要した。

富士川通船が始まり、鰍沢、青柳、黒沢河岸の3河岸には、常に数百艘の船が浮かび、富士川を航行する船数は、500~560艘に及んだという。

大正4(1915)年以降富士身延鉄道が次第に路線を延長し、昭和3(1928)年、ついに富士・甲府間が全通し、ここに富士川水運の歴史が閉じられる。

船の動力の改良がもっとはやく進んだならば、これらの水運の寿命はもっと長かったのではと思われる。

 

利根川の源流

霞ヶ浦周辺の地図を調べていたら、利根川が目に入った。流域面積日本最大のこの川の源流はという疑問がわいた。

源流探しはみんなの興味を引くらしくどこでも盛んだ。面白そうな例を挙げると

ナイル河:「エジプトはナイルの賜物」といわれるナイル河はエジプト、スーダン、エチオピア、ウガンダ、ザイール、ケニアそしてタンザニアを含む流域を持つが、エチオピアを源とする青ナイルとウガンダのヴィクトリア湖の北岸を源とする白ナイルがある。源流探しはこの白ナイルの源をいう。発見はジョン・スピークで1862年のことであった。

黒部川:ぐっと身近な川である。富山県の黒部渓谷・剱岳(つるぎだけ)は大変の興味深い場所であるが、その黒部川の源流は?

長野県にある鷲羽岳(わしばだけ)の北斜面にある。

さて、利根川であるが、源流も含めで、ここが詳しい。それによると源流は群馬県と新潟県との境界にある大水上山(おおみなかみやま)の三角形の雪渓である。

霞ヶ浦と「帆引き船」

数日前の新聞の旅のコーナーに霞ヶ浦の「帆引き船」の記事が載った。その「帆引き船」の写真がとても印象的であった。その「帆引き船」の写真はここ

いまでは純粋に観光用であるらしいが、嘗てはわかさぎやしらうおを網で獲る漁法の動力としてこの「帆引き」が使われた。操業中は船は帆に風を受けて横に動く。この漁法は明治の中ごろ始まったということでそんなに古いものではないが、霞ヶ浦そしてその東側にある北浦は中世から「海夫」たちの活躍した場所である。

AI論議にもっと現実性を持とう

NewScientistの記事である。

記事では

「AIの進展はわれわれを追い越すであろうという論者に対するToby Walshの反論はその客観性や専門性の双方の点で新鮮である。彼は『イヌの思考速度を速めることができたとしても、イヌがチェスをやるということはありそうないこtでおある。』

AIコミュニティーには機械のスピードを現実のヒトの思考とごちゃ混ぜにしている人々があまりにも多い。最速のコンピュータが意図や意思を持つとは考えられないし、ましてや意志を持つなどないであろう。コンピュータが何にその能力を集中し、どのような問題に注目し解決をはかるべきかは依然として人が決めている。高速なAIは知能をもつようになるといった議論に反論するWalshの議論は時機を得たものであり、スピードが全ての特効薬であるという誤った考えをやめるときである。」

A welcome bit of realism in the AI debate

Published 2 September 2020

From Robert Willis, Nanaimo, British Columbia, Canada

 

北斎の103点見つかった:大英博物館が収蔵

今日の朝刊の記事のタイトルである。

葛飾北斎の未公開の素描(デッサン)100点以上がフランスで見つかり大英博物館が収蔵したと3日に大英博物館が発表した。

見つかったのは1829年に「万物絵本大全図」の挿絵として制作された挿絵の作品群103点である。

これらの作品」が制作されたのは「富嶽三十六景」を手がける直前のものである。

オッカムの剃刀(かみそり):付録

前回のブログの続きである。NewScientistの同じ記事の最後のほうに以下のような文章がある:

Francis Crick, a co-discoverer of the structure of DNA, warned that the “simplicity and elegance” of Occam’s razor wasn’t well suited to the messy world of biology. Darwinian evolution by natural selection, for example, is a far more complex theory than just saying all animals are the product of a divine creator, but ultimately, it fits the facts as we know them far better.

DNAの構造の共同発見者であるフランシス・クリックは「『オッカムの剃刀』が言う単純さと華麗さは生物の混沌とした世界にはうまく適用できない。例えば、自然選択を基礎にしたダーウィン進化論は全ての動物は神が創ったものであるという一言よりずっと複雑である。しかし最終的にはダーウィン進化論は全ての動物をずっとよく知りうるという意味で事実に合っている。」

と訳せる。

しかし「全ての動物は神が創ったものである」という言質は果たしてダーウィンの進化論より複雑でないと言えるのだろうか?この言質は「神」という途方もなく複雑なものを導入し、事実の解明を先送りしているだけであるように思える。その意味でダーウィンの進化論は「オッカムの剃刀」が適用された結果である。