アファナシェヴォ文化と天山北路

アファナシェヴォ文化は西紀元前3000年ごろアルタイ山脈の南部分の西側で起きた文化である。このアファナシェヴォ文化はユーラシア大陸全体を覆うようなヤムナヤ文化の地方版であった。

ヤムナヤ文化はヴォルガ・ドン川下流域のステップで始まったがヤムナヤの人々は「ウマ」と「ワゴン」を使って3000kmも離れたアルタイ山脈の西側麓まで移住しアファナシェヴォ文化をうち立てた。ヤムナヤの人々のこの活動性がインド・ヨーロッパ語族の誕生に繋がったとされている。アファナシェヴォ文化はインド・ヨーロッパ語族のトカラ語派の故地である。

「シルクロード 1万5000キロを往く」(今村遼平ら編著)で天山北路として著者たちが旅したところのウルムチ(烏魯木斉)より北はこのアファナシェヴォ文化にすっぽりと覆われていたところである。文明の黎明期からずっと続いてきた歴史を感ずる。

 

 

「汗血馬」と天山北路

三国志の呂布や関羽が乗っていた馬が「汗血馬」である。一日で千里を走ると言われていた名馬であった。その生産地は前漢(西紀元前100年ごろ)の烏孫(うそん)国であった。天山北路の昭蘇平原もその国に含まれていた。「シルクロード 1万5000キロを往く」(今村遼平ら編著)によれば現在の昭蘇平原もウマが沢山飼育されているという。

一概にウマといってもウマ(Equus)は四つのタイプに分類されている。体高の違いで「ホース」と「ポニー」に分類される。さらにこの「ホース」も「ポニー」も二つに分類される(ポニーのタイプ1、ポニーのタイプ2、ホースのタイプ3、ホースのタイプ4)。ホースのタイプ4は西アジアから広まったものでアラブウマがその典型であり、サラブレットもここに入る。ホースのタイプ3は中央アジアから広まったもので、Akhal-TekeやCaspianといった現生品種がこのタイプのウマである。

生産地域から見て「汗血馬」はホースのタイプ3であったと思われる。このタイプのウマは体毛が薄い。汗をかくと血管が浮き出て赤く見えたので「汗血馬」と言われた。こんな説はどうだろうか?