杉田玄白と吉益東洞:「気の理」と「理の否定」

「徳川合理思想の系譜」(源 了圓著)では荻生徂徠の弟子である医者であった杉田玄白と吉益東洞を対比している。

荻生徂徠の思想の大きな特徴は思弁的な朱子学的な理の否定である。杉田玄白と吉益東洞もこの荻生徂徠の弟子であり、両者とも医者である。師の朱子学的な理の否定の影響を受けながらも、朱子学的な理の克服では対照的な道を歩んだ。吉益東洞は医術の世界で「事実主義」を主張、彼は言う:

「唯毒の所在を視て療治するなり、因を論ぜずという主意は憶見に落ちて治療なりがたく殊に道を害することある故なり。」

一方、杉田玄白は洋学と出会うことにより、人体構造の解剖学知識にもとづいた病理を明確に認識した。朱子学の思弁的な理に替わる「気の理」の重要性を認識した訳である。かれは言う:

「只願くば病因を分ち、条理を知るを肝要とすべし」

ここには理論と実践の相互フィードバックという科学的方法論の自覚が明確に表明されている。