ルーマニア(Romania)の歴史を知りたくて”The Lost Romans (History and Controversy on the Origin of the Romanians)”(Mircea Davidescu著)を読み始めた。
1.紀元二世紀ごろローマ帝国は南東ヨーロッパに大規模な植民をした。これら人々の後裔がルーマニア(ローマ人の国)の文化的・人的構成要素を作っている。ローマ軍の駐留は200年弱であり同じようにローマ軍が駐留したイングランドがラテン化しなかったことと対照的である。多分当時のダチア(ルーマニアの古い呼称)を含め古ヨーロッパといわれた地域はヨーロッパの先進地域でローマの文化を理解し吸収する素地を持っていたのであろう。ローマ帝国崩壊後もこれらに人々は自分たちをロマーニア人(Romanians)と自称し、周囲のゲルマン諸部族と区別してきた。
2.ルーマニア語はラテン系の言語である。これはルーマニア人(Romanians)の由来を考えると自然なことである。しかしルーマニア語は言葉の構造はラテン系であるが、語彙の約40パーセントは非ラテン由来である。面白い例では神(Dumnezeu)、教会(biserica)、十字(cruse)などのキリスト教の基本概念はラテン語由来なのに対して、神父(popă)祝福(blagoslovire)、僧(călugăr)、四部ゴスペル(tetravanghel)などの教会組織に関わる言葉はスラブ語やギリシア語由来である。
3.ルーマニアの宗教はキリスト教の中の正教(Orthodox Church)である。これはラテン系の言語を話す国の全てがカソリックであるなかの例外である。これは四世紀に正教を国教としたコンスタンティノープルにできたビザンチン帝国からの文化的な影響が考えられる。