1960年代に唯一の野生馬として発見され、各地の居留地で飼育されその後計画的な繁殖が行われたプルツェワスキー馬(E. przewalskii)は1994年に16頭が野生に放たれ現在はその数が100頭までになっている。
ところでこのプルツェワスキー馬と現生の家畜馬(E. caballus)とはどのような関係にあるのか。これは盛んに議論されてきたがまだはっきりとした結論がでていない。現生の家畜馬は元々は野生の馬で、6000年前に人間と接触し家畜化の道を選んだ馬たちの後裔である。
この二種類の馬たちは異なった数の染色体を持っていることが分っているが、この馬たちはほぼ同じミトコンドリアDNAの系列を持っているので品種の違いにすぎないと示唆されきた。
ところが2003年にドイツの研究者たち(元の論文はここ)がプルツェワスキー馬のY染色体に同定された部分の種ごと変動を調べ、現生馬とプルツェワスキー馬は12万年から24万年まえに分かれた種であることを突き止めた。家畜馬は6000年前の野生馬だから、この二種の馬は品種の違いすぎないという議論は成り立たないことになる。研究者たちはプルツェワスキー馬はシマウマやロバと近親種であることを示唆している。
馬乳(mare’s milk)
日本では馬肉を食べる習慣があるが、馬の乳を飲む習慣はあまり聞いたことがない。
ところがドイツ、ベルギー、オランダそしてノルウエーでは馬のミルクは大変に人気のある飲料で、ドイツでは各戸配達される商品にもなっている。値段はかなり高く、250mlで12ユーロ(約1200円)もするが、馬のミルクは牛乳より薄めであるが甘みは強くスイカのような香りがするらしい。
一方、馬の肉を食べることはフランス、イタリアなどラテン語系の国では盛んであるが、英語圏ではこれはタブーとなっている。
また、中央アジアのモンゴルなどと馬を飼育している国では馬乳をアルコール発酵させた馬乳酒が造られ飲料されている。アルコール濃度は1パーセント程度であるのでモンゴルでは誰でも飲んでいる飲料である。
ムスタングの過剰繁殖
米国西部にいる「野生馬」のムスタングの過剰繁殖が問題になっている。
元々はスペイン人のアメリカ大陸進出に伴なって持ち込まれた家畜馬だったが野生化したものである。米国西部のネバダ州などの砂漠地帯に生息しているので、食料となる草が乏しくかなり過剰繁殖である。食料を求めて牧場運営の人間とのトラブルが起きている。またトラックが落としたアルファルファを求めて道路に進出し交通事故死する馬もある。
これ以上数が増えないようにする対策は馬を捕獲して不妊治療を施して再度野生の戻すことだが費用の面や決定的な不妊治療薬がないなどの問題を抱えている。この野生馬の管理はUS Bureau of Land Management(BLM)が行っている。1970年代からこの過剰繁殖対策をやってきているが費用は年間7,400万ドルにも達している。捕獲して収容している野生馬は49,000頭になってる。この数は年々増加している。年間で5700頭が捕獲されているが、里親が見つかって施設を出て行く馬は僅か2600頭で、施設の収容限界50,000頭に僅かな余裕しかない。
歯槽間縁と口角
「ハミ受け」と関係あるかもしれないこととしてウマの口の中でのハミの置かれている場所は何処かという問題を考えてみたい。
乗用馬の頭絡を装着した様子を観察すると明らかにハミは口角のところにある。これは口のなかでは前臼歯の第二歯あたりに最初はあることになる。これが正しい位置らしい。
ハミは前歯と前臼歯の間にある歯槽間縁に置かれるといわれるが「普通」は口角にある。
馬にとってはハミが口角にあるばあいと歯槽間縁にあるばあいどちらがハミを噛んでいる負担が少ないのであろうか?
口角には神経が沢山きていることを考えると歯槽間縁に置く方が負担は少ないように思われる。
それならば何故最初から頭絡の調整してハミを歯槽間縁に置くようにしないのであろうか?
前回のブログで説明したように、「ハミ受け」のできた馬は前後背中とも丸くなる。このような丸くなった馬では伸びた状態でつけた頭絡のハミの位置が移動する。最初から歯槽間縁にハミを置くとこの丸くなった馬ではハミの位置はもっと前にきてしまう。
最初は口角にあったハミは馬が丸くなることで前方に移動して歯槽間縁に収まるようになる。
従って「ハミ受け」で最も大事なことは繰り返しになるが馬を前後背中とも丸くすることである!
「ハミ受け」とは如何なることか?
「ハミ受け」(on the bit)とは如何なることか?
この疑問が湧いてきたのでインターネットを検索してみた。ベスト・アンサーはここにある。よく地面に対して鼻が垂直より小さい角度になったウマの姿勢を「ハミ受け」と考え勝ちであるが、これは誤解であることを著者は指摘している。
上の画像は左右ともウマはon thr bitにある!
右は単に加えてon the verticalにあるにすぎず、左右とも「ハミ受け」ができている。
それでは「ハミ受け」とは如何なることか?
著者は三つの点を指摘しこれらが達成されたウマの状態を「ハミ受け」(on the bit)の状態であるとしている。その三点とは:
(1)ウマの腹の筋肉が持ち上げられている。
(2)ウマの骨盤が閉じていることで後肢が馬体のさらに前方に達すようになっている。
(3)乗り手の拳との接触を維持しようとウマが前方に向かうことにより首がアーチ状になる。
ヤクート(yakut)種のポニー
New Scientistで”White walker:Longest horse trek crosses icy lake”という記事を見つけた。
これは冬に凍っているバイカル湖を9000kmも横断したポニーの話である。このポニーはシベリヤ東北部に住んでいるヤクート人が飼ってポニーでこのポニーもヤクート種と言われている。
写真で見るように大変に精悍なポニーである。
話は1889年に時の皇帝アレキサンドル三世のとき、コサックの兵士Peshkovがこのポニーが如何に冬に強いかを示すために厳寒のバイカル湖を横断したのである。
これまではこのポニーは主として食用として飼育されていた。
蹄鉄の起源
最近は樹脂製の「蹄鉄」もあるが、蹄鉄といえば「鉄」である。ショックを吸収することから軟鉄が使われている蹄鉄の起源は何処だろうか?
窪田蔵郎著「鉄から読む日本の歴史」によれば、自然界から鉄を取り出す技術は中央アジアで始まった。この技術はその地を追われたトルコ系民族の突厥(トッケツ)つまりダッタン人によって東に伝播した。ダッタン人の語源タタールが転化してわが国の製鉄炉の「タタラ」になったと言われている。これは中国には漢の時代(紀元前200年)ごろからである。乗馬の風習も前後して東に伝播したのであろう。そしてこのダッタン人が馬に蹄鉄を装着すること始めたと言われている。
ウマの家畜化は幸運の産物?(2)
前回のブログで
現生ウマ(全てが家畜化されたウマの後裔)の遺伝的な特徴として最初に家畜化された牝ウマが多様なのに対して雄ウマは一頭にすぎないことを紹介した。
家畜化の関して何故このような偏りが出たかを考えてみたい。
それは家畜化される前の野生ウマの生態に関わっているに違いない。いまとなっては本来の野生ウマの生態を観察することはできないが、家畜ウマが野生化したウマたちの生態は観察できる。
世界の幾つかのところ(ウクライナのアクカニア・ノヴァ、メリーランドやヴァージニア州の堡礁島、そしてネヴァダ州北西部が有名)で自然のままのウマの群れを観察できる。これらの野生ウマたちの標準的な群れは二から七頭の牝ウマとその子どもたちとハレムを形成する一頭の雄ウマからなる。青年期の雄ウマたちは二歳ごろにこの群れを離れる。雄ウマ・ハレムの群れ集団は縄張り範囲を占領する。雄ウマたちは牝ウマのコントロールや縄張りを巡って激しく争う。若い雄ウマたちは排除されたあと、かれらは定住した雄ウマの縄張りの境界でこっそりと「独身群れ」と呼ばれる緩い集まりを形成する。大抵の独身ウマは五歳以上にならないと大人の雄ウマに挑戦したり牝ウマたちを自分のものにすることはできない。確立された群れのなかでは牝ウマたちは群れを先導し脅威が生まれたときは先頭に立つ指導的な牝ウマを頂点とする階層構造を作る。従って牝ウマたちは他の支配、それが牝ウマ、雄ウマそしてヒトであれ、を受け入れる素地を持っている。これに反して雄ウマは頭が固く乱暴であり、噛みついたり蹴ったりと他の権威に対して挑戦的な素地を持っている。相対的に扱いやすく御しやすい牝ウマたちが野生の群れの階層構造の底辺で見つかりやすくなる。しかし相対的に扱いやすく御しやすい雄ウマは例外的な個体であった。つまり野生では自分の子孫を残す可能性のない個体であった。
ウマの家畜化はこのような相対的に扱いやすく御しやすい個体がウマの家畜化の系統を作ろうとしたヒトの住むところに現れたという幸運によっているのかもしれない。ウマから見るとヒトは相手を提供してくれる唯一の方法であったし、ヒトから見るとかれはヒトが欲しがっていた唯一の雄ウマであったわけだ。
ウマの家畜化は幸運の産物?
ウマの家畜化の過程の問題である。
現生ウマの遺伝的な特性を調べてみると興味ある事実が出てくる。
現生ウマ全てが家畜ウマであるが、現生家畜馬の「雌」の系統は極端に分散している。母から娘に変化なして伝わるミトコンドリアDNAから得られた遺伝形質は地球上いる現生ウマの雌のこの部分の分散を説明するためには十七の系統発生的な系列に分類される六十七頭の祖先牝ウマを必要とすることが分っている。野生の牝ウマは多くの異なった場所と時間で家畜ウマに取り込まれたにちがいない。
一方雄から雄子ウマに変化なしで伝わるY染色体に関わる現生「雄」ウマのDNAは極めて一様であることが分っている。たった一頭の野生雄ウマの家畜化があったくらいで説明が着く。
野生ウマを捕獲した人々はいろんな野生牝ウマを捕獲し飼育するとに関し気楽に行っていたが、このデータに従えばかれらは野生の雄ウマをどこでも拒否し、家畜化された牝ウマたちと掛け合わせた野生の雄ウマから生まれた雄子ウマさえも家畜化しなかったことになる。現生ウマたちは極少数の原始雄ウマと多くの変化に富んだ原始牝ウマの後裔である。
カルタゴと馬
紀元前三世紀あたりでローマ帝国と対決していたカルタゴであるが、紀元前146年ローマの将軍スキピオによって廃墟になった。
その廃墟の発掘からカルタゴの文化をしるものが沢山見つかっている。そのなかで興味があるものの一つが金貨である。以下はその一例の画像である。
このコインの表はタニト女神で農業を司る神で、裏には馬が描かれている。カルタゴにとっては馬は特別な動物であったことを示している。