花桃の季節だ

仙台では桜の開花が早かったので他に草花の開花も早いのではと思っていたが、やはり早く例年花を写真に撮っている米ケ袋の花桃をもう咲いていた。

米ケ袋の花桃
米ケ袋広瀬川河川敷の花桃

「名月を取ってくれろと泣く子かな」(小林一茶)

上の句にまつわる小話でそれを聞いた父親が「梯子があれば屋根に上がって取ってやれるんだが、生憎梯子がないなあ」。満月の月は一段と大きく見え近くに感じられる。

不思議なことにあれほど精緻な暦を作った近世の日本の天文学では天体までの距離が問題となったことがない。先日「朱子の自然学」(山田慶児著)を読んだが、12世紀の中国の天文学においても天体まで距離は問題とされなかったという。なぜか?

2023年の桜

今年の仙台の桜は4月の初めに満開を迎えた。写真もそれなりに撮った。

片平キャンパス

片平キャンパス
片平市民センター

写真ギャラリーに纏めておいた。

シェイクスピアと馬

ある研究者によれば、「同時代の全作家のなかでシェイクスピアだだ一人だけが拍車の不当な使用と残酷さと愚かさに気づいてた」とシェイクスピアが馬に大きな関心を持っていたという。これに対して木下順二は「シェイクスピアの世界」の中で辛口の批判をしている。同氏自身は年季の入った乗馬家で、馬に関するエッセイも書いている(「すべて馬の話」)。

その研究者はシェイクスピアの全作品の中で馬に言及している代表例として6例を取り上げている。最も専門的な言及は「ヘンリー四世」の中のセリフで馬つなぎ場になっている宿屋の内庭で朝たちの荷運び人夫が馬丁に呼びかけるもので、「荷馬の鞍叩いといてくれ。鞍の前橋(まえわ)に少し毛を詰めてくれ。かわいそうに痩せ馬め、肩のところにとんでもない鞍傷(あんしょう)を起こしているからな」である。

今日の我々がこのセリフを聞くと、シェイクスピアは馬に詳しかったように感ずるが、馬が交通・運搬の主な手段であった時代であれば、上のような会話は日常的なものであったと思う。木下順二もそのことを指摘してる。

馬と一緒の「恩返し」:津波で失った乗用馬訓練施設と39頭

今朝の新聞記事のタイトルである。

宮城県亘理町で再建された乗用馬トレーニング施設の記事である。

元々は近くの名取の海岸近くにあった施設であるが、東日本大震災の津波で設備や馬を失ってしまった。記事によると41頭いた馬の内39頭を失ってしまった。その後仙台市秋保に仮の訓練所を開設した。このころ筆者も一度訪問したことがある。

義援金をもとに恒久的な設備を再建することを決意。亘理町に再建し名前も「ベル・ステ-ブル」とした。今は馬も40頭に増えている。オーナーの鈴木嘉憲さんは「多くの人の助けがあった。馬を通して全力で恩返しをしたい」と語っている。なお、webページは更新中である。