散歩の途中の市民センターで黄色いコスモスが咲いているのに出会った:

杜撰(ずさん)と読む。「とせん」ではない。
馬の背中の律動の波長を長くすることが歩幅の伸展を意味する。
馬の背中が硬いと背中の「波」は全くうまれず、伸長運動は人馬に対する拷問さながれにみえてしまう。「肢で歩く馬」はは気持ちよく運動することができない。
伸長速歩は上級馬場馬術科目のハイライトにならなければならない。収縮運動を続けてきた馬にとって飛ぶように前にでることは一種の「解放」なのだ。騎手はだだ「波」に揺られ馬がみずからの能力を発揮するのに任せてやるだけでよい。
出典は”ドレッサージュの基礎”(著者:K.A. von Ziegner、訳:椎名 嬢)
駈歩は3節の運動だ。常歩から駈歩への移行では馬が十分脚に敏感になっている必要がる。さらに4節の歩法(常歩)から3節(駈歩)に移行するタイミングは常歩で外側後肢が地面を離れて自由になっているときである。駈歩は外側後肢の踏み出しから始まるからだ。
3節の駈歩から4節の常歩への移行は3節の駈歩のサイクルのなかで外側前肢と内側後肢の着地のあとほんの少しでけ馬の3本の肢が着地してるときがある。このタイミングで移行する。3節の駈歩のサイクルのなかで常歩の似た肢のパターンが作られる時である。
左駈歩から数歩の常歩をはさんで右駈歩にきりかえるのが単純踏変換である。駈歩から常歩への移行は前に述べた。その常歩から駈歩の移行へは常歩で外側後肢は地面を離れているタイミングで移行する。したがって常歩が少なくとも4歩が必要となる。
出典は”ドレッサージュの基礎”(著者:K.A. von Ziegner、訳:椎名 嬢)
久しぶりに乗馬の話。
以下のような記述を見つけた:
昔の大馬術家たちは肩を内へを「あらゆる横運動の母」と呼んだ。そうだとするとーー実際そのとおりであることに疑問の余地はないのだがーー巻乗りは「祖母」で輪乗りは「曾祖母」だ。肩を内へに必要となる側方屈曲は正確な巻乗りの結果であり正確な巻乗りはシステマティックな輪乗りの作業によって可能になる。
出典は”ドレッサージュの基礎”(著者:K.A. von Ziegner、訳:椎名 嬢)
久しぶりの「弥縫録」(陳舜臣著)である。完璧(カンペキ)である。
今の日本語ではパーフェクトを意味しているが元々は「璧を完(まっと)うする」という意味。
璧というのは玉(ぎょく)を平な円形に磨いたもの。玉を磨いて疵のない璧を作ることが「完璧」。
「和氏(かし)の璧(へき)」という有名な完璧があった。「弥縫録」にはこの璧をめぐるエピソードが詳しく紹介されている。古代の中国人は璧を大変に好んだ。それ故に「完璧」といような言葉が残っている。
「璧」は「壁」ではない。