折角(せっかく)と折檻(せっかん)

漢字「折角」も「折檻」も折(お)るという漢字を含んでいる。

何を「折る」のかが問題。

折角では「折る」のは角(つの)であり、折檻では「折る」のは「おり」ではなくて「てすり」である。

こんな話が「中国名言集:弥縫録」にあった。

前漢末の人に朱雲という人が当時宮廷で高慢な振る舞いをしていた五鹿充宗(ごろくじゅうそう)という易学の大家を易学の問題で論争し徹底的に論破した。人々はこれを

五鹿獄獄、朱雲其の角(つの)を折る

と言い合った。

これが「折角」である、つまり「高慢ちきの鼻をへし折る」ことである。

同じく朱雲は丞相となった張禹(ちょうう)という人物が無能なことに憤慨して皇帝に諫言したが、この諫言に激怒した皇帝は彼を死刑にするように命じた。朱雲はそれにもめげず檻(てすり)にしがみついて諫言を続けそれを引き離そうした役人との力較べでてすりが折れてしまった。

これは「折檻」である。つまり「下から上を強く諌める」ことである。

これには付録がある。反省した皇帝は折れたてすりの修理をさせず、諫言を歓迎する意を示した。それ以降中国の歴代王朝では宮廷造営の際てすりの一部をわざと欠くことをしきたりとしたという。

「折角」も「折檻」も現在の日本では大変に違った意味に使われているが、それらの漢字の字面を見ると元来の意味に納得する。

折角面白い話を読んだので紹介した。

弥縫録(びほうろく)と備忘録(びぼうろく)

陳舜臣氏の著作に「中国名言集:弥縫録」という面白い本がある。

最初の話題が弥縫録(びほうろく)と備忘録(びぼうろく)である。

日本では弥縫(びほう)という言葉は「とりつくろう」、「一時しのぎ」等ネガティブな意味に使うことが多い。

中国の古典でこの言葉が最初に使われたのは「春秋左伝」で紀元前700年ころで、意味は「蟻の這い出る隙間もないほど」つまり「なにひとつ逃さずひろいあげようすること」だそうだ。日本とはほぼ逆の意味である。

著者はこの意味で弥縫録(びほうろく)を本の題名したと述べている。

 

美術に表現された馬(7): At the Races ( Edouard Manet)

マネの馬たちである。画像はここ

Horse Museumの説明:

フランスの画家、マネは独特の絵画技法や論争の種になるような絵の対象によって一生を通じて批判された。かれはカンヴァスを絵の具の層を作って筆致を消してしまう古典技法を拒否し、光の印象を創るために逆に色の筆致を使った。今日では多くの人が彼は近代絵画の父だと考えている。

かれが受けたような批判は印象派の人々に対する批判で、かれらの筆致は「モップを使って描いた絵」と揶揄された。

新年の朝(2020年)

「元朝まいり」の真似ごとで大崎八幡宮にカメラを持って行ってみた(1月4日)。そのときの写真を一枚:

大崎八幡宮の朝

マキアヴェッリ語録(塩野七生著)

マキアヴェッリ語録(塩野七生著)という本がある(新潮文庫)。これはマキアヴェッリの著作の著者の眼識による抜粋である。その中の名言を少し紹介する。

*国家にとって法律をつくっておきながらその法律を守らないほど有害なことはない。とくに法律をつくった当の人々がそれを守らない場合は、文句なく最悪だ。

*歴史は、われわれの行為の導き手(マエストロ)である。だが、特に指導者にとっては師匠(マエストロ)である。

美術に表現された馬(6):Study for Sussex Farm Horse(Robert P. Bevan)

独特の色使いで表現された馬である。画像はここで。

イギリスの田舎で育ったRobert Bevanは二つのことに情熱を注いだ。それらは絵を描くことと馬であった。裕福な銀行家の息子であつた彼にとってはこれらの二つを追求する余裕があつた。絵を学びそしてその芸樹の中で馬を追求することを助言された。彼の最初の個展で批評家たちはかれの色彩が強烈なことに印象つけられた。今日ではかれは20世紀で「純粋な色彩」を使った英国の芸術家の一人と考えられている。

中国の人名にででくる「字(あざな)」について

映画「三国志」を見ていると登場人物の殆んどが字(あざな)を持っている。

諸葛 亮(しょかつ りょう)は字は孔明こうめい)、司馬 懿(しば い)は字を仲達(ちゅうたつ)といった具合である。

諸葛 亮のばあい諸葛(しょかつ)が姓で亮(りょう)が名であり、司馬 懿のばあい司馬(しば)が姓であり懿(い)が名である。

この名と字との機能の違いがあるように思える。

自分を表現するときには名を使う。例えば、孔明の有名な「出師の表」の出だしでは

「臣亮言う。先帝、創業未だ半ばならずして中道に崩殂す。….」となる。

一方人々がかれを呼ぶときには、「孔明」と字で呼ぶ。

また、面白いことに名は漢字一字であるのに対して、字は漢字二字である。時代は失念(たぶん後漢以前)したが、それまで使っていた漢字二字を名に使うことが禁じられ、漢字一字の名のみ使うことが許され、同姓同名が沢山に世のなかに出てしまい混乱したときがあった。もしかしたら、このような混乱を避けるために漢字二字の「字」を使い始め、それが習慣化したのかもしれない。

 

美術に表現された馬(5):馬の素描(葛飾北斎)

葛飾北斎の馬たちである。画像はここにある。

アウトラインのみで馬の特徴を巧みに表現してあり感心する。

五歳のころより彼の言によれば「ものの形を素描することに夢中であった。」三万点以上の作品がある。後年彼は自分のことを「画狂老人」と言った。

臨終の言:

「翁死に臨み、大息し天我をして十年の命を長ふせしめバといひ、暫くして更に謂て曰く、天我をして五年の命を保たしめバ、真正の画工となるを得べしと、言吃りて死す。」

Horse Museumのクレディトによれば、この「馬の素描」はシアトルの美術館にある。

かれは馬を含め多くに動物を描いている。それらはここで見られる。

美術に表現された馬(4):Horse (Alexander Calder)

ワイヤーで馬を表現した。大変に印象的な立体像だ。画像はここで見られる。

“Horse Museum”の説明によれば

米国の芸術家、Alexander Calderは8歳のとき彼の妹の人形にためにワイヤーで飾りを作った。おとなになって批評家たちが「立体描画」と名づけた手法のワイヤーで肖像画や彫像を作成し始めた。かれの初期の作品はこの馬のように形象描写的で動かないものであった。最終的には彼は金属板やワイヤーから抽象的な作品を作るようになった。しかもそれは動く。最初はそれはモータによって動かされたが、最終的には自力で動くようなものであった。1931年Marcel Duchampはこの動的彫刻を「モビール」(”mobile”)と呼んだ。

一度は自分の部屋にこのモビールを掛けたことがないかな?それならばAlexander Calderにありがとうを言おう!