馬の耳に念仏?

広辞苑によれば、「馬の耳に念仏」という諺は「馬にいくら念仏を聞かせても、その有難みがわからないように、いくら話を聞かせても、何の役にもたたないさま」を言う。
馬の聴力は馬の五感の中で最も優れていると言われているが、この最高の聴力をもってしても、聞く耳を持たないと念仏も聞こえてこないということだろう。
ヒトが「念仏を聞いてその有難みがわかる」とはどういうことなのだろう?
念仏それ自体に論理的な説得力があるのではではなくて、その念仏に誘発された情念が有難みを感ずるのであろう。
念仏を聞いたときの馬の心はまさに馬に聞いてみないとわからないが、馬は喜び、悲しみ、怒りの感情を持っている。動物はヒトが想像する以上に豊かな情感の世界を持っている(松沢哲郎著「チンパンジーの心」。しかし、その情感をヒトに伝える手段に乏しい。
馬は「あのときこういうことがあった」というエピソード記憶の膨大なデータベースを持っていると言われている。だから、念仏を喜びの情感と結びつける経験を持つと、その馬は念仏を聞くことによって喜びの情感を持つことになる。「馬の耳に念仏」は違った意味になる。

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