「若狭井」(わかさい)と製塩土器

「塩釜」は鉄製の大きな釜でそれで海水を煮立てて塩を作る。その鉄器以前は土器を使って塩を作っていた。福井県若狭ではそのような製塩用の土器が沢山みつかっている。ここは古くから製塩が盛んであって平城京に米の代わりに塩を納めていた。平城京から出土する木簡でもそのことは確認されている。平城京と若狭は深い関係あったのだ。

ところで東大寺二月堂で3月に行われている「お水取り」の行事は火と水の行法であるが、そこで使われる水は「若狭井」がある閼伽井屋(あかいや)(ここには水取衆といわれる特別な人のみが入れる)から運ばれる。なぜ「若狭井」と呼ばれるのか?

「お水取り」の行法は三月初めから始まるが、調べてみると若狭湾に面した小浜市の若狭神宮寺でも三月の初めに「お水送り」の神事が行われている。この神事も火と水の行法で「お水取り」と極めて似ているものである。この神事がどの様な歴史を持っているか不明であるが、若狭と東大寺延いては平城京との深い係わり合いによるものであるように思われる。

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