「わらい」と「あそび」

「わらい」と「あそび」は極めて人間的な行為である。しかし「キリストは決してわらわなかった」としてキリスト教ではわらいを禁止していた。それ故キリスト教の僧院の文書館では「わらい」を含む異教徒の書籍は厳重に管理されていた。これが「薔薇の名前」(ウンベルト・エーコ著)のテーマでの1つである。

ホイジンガは「ホモ・ルーテンス」の中で「あそび」の文化史的な意義を強調している。「あそび」のなかで、「あそび」として文化がうまれ発展したのだ。

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