宋の太祖趙匡胤(ちょうきょういん)の「石刻遺訓」

小説十八史略」(陳舜臣)の中で著者は宋の太祖趙匡胤を大変に褒めている。

この趙匡胤は生粋の軍人であるが、国家の基本に文治主義を貫いたからだ。かれは子孫のため遺訓を石に刻み、禁中の最も奥の皇帝しか入れないところに置き、新帝が即位するとこの遺訓を読むことを重要な儀式とした。この遺訓は三百年も続いた宋王朝の基本姿勢となった。

この「石刻遺訓」には何が書かれていたのか?

一 宋に国を譲った後周王室柴(さい)氏を子々孫々にわたって面倒をみること。

ー 士太夫を言論を理由として殺してはならぬこと。

これが遺訓の内容であった。

第一の遺訓のお陰で三百年の宋王朝の期間柴氏は宋王朝の賓客の扱いを受けた。第二は「言論の自由」を保障したことである。