阿倍仲麻呂と鑑真和上

中国の歴史のなかで唐あたりになると日本に馴染みな名前が現れる。

あまのはら ふりさけみれば春日なる
三笠の山に出でし月かも

これは百人一首にある阿倍仲麻呂の歌である。これは唐の時代に黄泗浦(こうしほ)(揚子江河口の南岸の港)で創った望郷の歌である。かれは遣唐使として唐に来て、その才能を認められ二十六年間も唐の玄宗に仕え、ようやく帰国の機会を得た。そのときの歌である。遣唐使一行と帰国の予定であった。帰国船は四艘からなり、かれは第一船に乗った。この船団の第二船に乗ったのが鑑真和上であった。かれは五度も船が遭難して日本に辿りつけずにいて、これが最後のチャンスであった。

第二船は無事に日本に着いたが、残念なことに第一船は遭難し北ベトナムへ押し戻られてしまった。阿倍仲麻呂は苦難のすえ長安に戻ったが、彼が死んだとおもった友人の杜甫は「晁卿衡(仲麻呂のこと)を哭す」という挽歌を創った。

小説十八史略」(陳舜臣)より。