ウマはホース(14):フリオーソ

今回もハンガリーの馬でフリオーソ(Furioso)である。画像はここ。フリオーソはイタリア語で「激しく」という意味で馬の名前によく登場するが、ここでは品種としてのフリオーソである。

フリオーソは前回のノニウスと深い関係にあるウマの品種であり、オーストリアからポーランドまで広くヨーロッパ中で飼育されている。フリオーソはまた騎兵用のウマとしても飼育されていたが、ノニウス以上に品種改良が進んでいる。

フリオーソ種は二頭のイギリス産の馬、FuriosoとNorth Starをノニウスの牝馬に交配させたことを起源としている。1840年ごろ導入されたFuriosoはサラブレッドであったし、その3年後導入されたNorth Starは1834年のセントレジャース(St.Leger)競馬の勝利者Touchstoneの息子であったが、Norfolk Roadsterの強い影響もあった。

フリオーソ種はヨーロッパレベルの障害物競走を含めさまざまな分野の競技で活躍する能力を持った騎乗馬である。また引きウマ競技でも活躍している。

 

輓馬(ばんば)の歌

新聞に詩稿「輓馬(ばんば)の歌」を書いた久保克彦の評伝の記事がのった。久保克彦は『図案対象』という作品を残した戦没画学生で未完の詩集「輓馬(ばんば)の歌」を遺した。

藤田嗣治が「右腕はお国に捧げるつもりで戦争画を描け」と言った時代に明確な反戦の意思を持った詩稿「輓馬(ばんば)の歌」を書いた。そこには数しれない輓馬の隊列が「怠惰な戦争の続いている/黄土の大陸の方へと進んで行く」と、ひとり馬にあらず全ては日中戦争に向っている状況への抗議となっている。

この25歳で戦死した久保克彦の『図案対象』は戦争の無意味さ、文明の脆さを象徴する作品となっている。この作品はかれの母校、芸大美術館が所蔵している。

評伝の著者は久保の甥である木村亨氏で「輓馬(ばんば)の歌 《図案対象》と戦没画学生・久保克彦の青春」(図書刊行会:2019)。

ウマはホース(13):ノニウス

今回からハンガリーの馬を取り上げる。最初はノニウス(Nonius)。画像はここ

ノニウスは19世紀に広大なオーストリア・ハンガリー帝国の牧場でヨーロッパ中の騎兵の新馬を供給したときにその絶頂期に進化した。

この品種はNonius Seniorを起源としている。この馬は1810年ノルマンディー地方のカルヴァドス(Calvados)で誕生し、1813年にハンガリー人たちに獲得された。かれはNorfolk Roadsterとの半血種であったイギリス産馬、Orionとノルマンディー地方の普通の牝馬とによって誕生したものである。この品種はアラブ種、リピッツァナー、ノルマンディー、そしてイギリス馬を子孫とする牝馬とノニウスの牡ウマにまで戻れるノニウスの牡ウマとによって得られたものである。1860年代、サラブレッドの血統が導入された。今日ではノニウスはハンガリーのホルトバージとチェコのトポイシアンキーで生産されている。

ノニウスは優秀な体型で大人しい。曳きウマとしても騎乗馬としても高速ではないが、多目的で優秀なウマである。

ウマはホース(12):ラインランド

今回はドイツのライン川沿いで飼育されているラインランド(Rhinelander)を取り上げる。画像はここ

重量馬であった旧ラインランドは多くをブラバント種に負っておりラインランド、ヴェストファーレンそしてザクセン中で普通の作業ウマであった。それ以来農作業に従事することが長い間続いたので品種が曖昧になり現在ではもはや確認することが困難になった。しかし血統台帳はこの重量馬をとくにその中の軽い系統を基礎に温血種の乗用馬に移行してきた。

19世紀に騎乗または乗用を目的としたウマの生産プログラムが設定された。それらのウマはサラブレッド、トラケナーそしてハノーバーそれとはっきり確認できないが旧ラインランドからなるハノーファー・ヴェストファーレン地区内の牡ウマを父親とした。現生のラインランドは混血から誕生した選択された半結種の牡ウマたちを基礎に生産されている。