七夕祭は女子のお祭りだった。平安朝には乞巧奠(きつこうてん)といわれ盛大なものであった。「宇津保物語」には
「七月七日になりぬ。賀茂川に御髪すましに大宮より始め奉りて、小君たちまで出で給えり。賀茂の川辺に桟敷うちて男君たちおはしまうさず、その日の節供川原にまいれり、君達御髪すましはてて、御琴しらべて七夕に奉り給ふほど….」
とある。琴を鳴らして奉納する対象は七夕で牽牛、織女の二星である。ここには中国の七夕伝説の影響があるが、川辺に桟敷をつくり、そこで髪を洗い浄め、食事もそこでとるということは水神に奉仕する巫女のことである。つまり夏にはその力を発揮する水神のため、おとめたちは桟敷ー棚(たな)ーを設けて神に仕えた。棚には織機ー機(はた)-がすえられ、おとめたちは神に捧げる神衣を織った。これが日本のタナハタであった。