津軽半島三厩村(みんまやむら)

この面白い名前の村は津軽半島の先端、龍飛岬にあった。「あった」というのは現在ではない。合併でこの村名は消滅した。

三厩村(みんまやむら)は三つの厩(うまや)と書くが、義経伝説に由来する。東北へと逃れた源義経が岩窟にいた3頭の駿馬を得て北海道へ渡ったという伝説である。ここには義経寺もある。

道産子(どさんこ)と「だんづけ」

新日本風土記「津軽海峡」を見ていたら道産子の話題があった。道産子は12-14世紀に南部馬が船で北海道に連れてこられた馬たちの後裔である。林業で山から木を運ぶ作業に使われてきた。道産子は小さいが足腰が強く粗悪な道でもしっかり歩くことができる。ばん馬の力強さにはかなわないが、このような運搬作業は道産子でないとだめだというはなし。

番組では道産子の背に沢山の丸太を括りつけで運ぶ作業をしていたが、沢山の丸太を綱一本で括る「名人芸」が紹介されていた。それが「だんづけ」と言われるものである。しかも丸太が馬体を傷つけないように丸太が馬体から浮いている。なかなかの技である。

ダラ・ホースと八幡馬(やわたうま)

手元にわりと立派な馬の民芸品が二体ある。ダラ・ホースと八幡馬(やわたうま)である。写真はここ。

ダラ・ホース(右)と八幡馬(左)

ダラ・ホース

このブログでも紹介したことがある。スエーデンの民芸品で、”幸福を呼び込む”馬として知られているものである。現地には巨大なダラ・ホースの立像がある。

八幡馬(やわたうま)

八戸の民芸品である。南部一の宮「櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)」の例祭の社前で、参詣者のおみやげとして木彫りの馬の玩具が売られるようになったのが始まりの由。この神社の所在地が「八幡〜やわた」と呼ばれる事から「八幡の神社で売られている馬っ子」で八幡馬と呼ばれるようになった。三春駒、木下駒と共に日本三駒と呼ぶそうである。全てが東北地方であることが面白い。

レヴァードする奇跡の騎馬像

騎馬像でレヴァードの姿勢をした騎馬像もある。このブログでも以前紹介した。ウイーンのヘルデンプラッツ(Heldenplatz)にたっているサヴォイ(Savoy)のユージン皇太子(Prince Eugene)の騎馬像である。ところでこのヘルデンプラッツにはもう一つの騎馬像がある。それはカール大公の騎馬像である。これは奇跡の騎馬像と呼ばれている。理由はこの記事を参照していほしい。

レオナルド・ダ・ヴィンチのスフォルツァ騎馬像でも触れたが、レヴァード(両前肢を空中にして両後肢のみで馬体を支える馬術演技)の姿勢の騎馬像は制作が大変に難しい。特に騎馬像が大きくなり重量が増すと困難を極める。スフォルツァ騎馬像は高さは7.2メートル、青銅の重さは72.5トン。これはさすがに無理。

記事によればカール大公の奇跡のレヴァードする騎馬像を制作したのはアントン・ドミニク・フォン・フェルンコルンという彫刻家で、この成功によって次のユージン皇太子のレヴァードする騎馬像を制作することになった。しかし今回はうまく行かず発狂してしまった。弟子は両後肢と尾の三点で立つ騎馬像にして完成させたという。多分後者の騎馬像は前者に比べ重量があったのであろう。この彫刻家は正に重圧に負けてしまったわけだ。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ:トルヴルツィオ騎馬像

田中英道著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」によればレオナルドは晩年になってトルヴルツィオ騎馬像をつくるための準備のデッサンを残している。また手稿のなかで

「トロット(速歩)は自由なウマのほとんどの特質をそなえている」

と述べている。これはどんな意味か?トロットしている騎馬像を意味しているのか?

トロットしている騎馬像としてよく引用されるのがこの騎馬像であるが、これがトロットだろうか?

実際のウマのトロットの動画がある。また理想的なウマの速歩の歩みの静止画も載せる:

トロット
トロット。Balancing Act(G.Heuschmann)より

側対の前肢と後肢が平行になっていることに注意。

これらを比較すると騎馬像のトロットは前肢の動きが誇大に強調されているように思える。

ウマはホース(35):ペルビアン・パソ

南米ペルーのウマである。独特の四節の歩様で走る。動画が面白い。

ペルビアン・パソは前回紹介したクリオロと共通の祖先によることが分っている。このウマはパソ・ラノという名称で知られている独特な肢を横に蹴り出すような四節で走り、特異な体型をしてる。

このウマの品種改良はこのパソ・ラノという歩様を完成させる方向でなられている。パソ・ラノの動作では前肢を円を描くように活発に動かし、後肢はこの動きを強力にサポートする。そのため馬体の後半部を低く構える。

この品種は大変に強靭である。後肢および繋は長く、関節はことのほか柔軟である。これらの要素がことウマの歩様の快適さに貢献している。

ウマはホース(34):クリオロ

南米の馬を紹介する。最初はアルゼンチン原産のクリオロ(Criollo)である。画像はここにある。

アルゼンチン原産であるが、少し異なった体型と異なった名前で南米大陸全体に生息している。例えばブラジルではCrioula Brazileiroの名前を持っている。アルゼンチンにおいてはクリオロはパンパスで働くカーボーイ、ガウチョ(Gaucho)にとっては不可欠な乗り物であり、アルゼンチンで有名なポロ・ポニーの進化で重要な役割を果たしている。

クリオロは16世紀に南米にもたらされたスペインウマの系統を基礎としている。それらの馬は忍耐強いバーブ種の血を持っていた。目立った最初の輸入は1555年にブエノスディアスの建設者であるDon Pedro Mendozaによってなされた。その後原住民のこの都市への侵入で、これらの馬は広範囲に四散し野生となった。

クリオロはスペイン馬を祖先とする仲間に共通の特質である堅牢さや従順さでは世界一のウマである。過酷な環境で最低の食料で生きることができる。また耐久競技では信じ難い力を発揮し、長寿であることも特質である。

レオナルド・ダ・ヴィンチの三つの騎馬像

田中英道著「レオナルド・ダ・ヴィンチ」によればレオナルド・ダ・ヴィンチは未完も含め三つの騎馬像に関わっている。

(1)コレオーニの騎馬像

ヴェネツィアのカンポ・サン・ジョヴァンニ・エ・パオロ広場に現存する騎馬像である。画像はここで。直接の製作者はフィレンツェのヴェロッキオであったが騎士の厳しい表情や馬の首あたりの緊張感は当時ヴェロッキオの弟子であったレオナルドの影響が強く出ているといわれている。1480年ごろの作品で、馬は常歩の歩みをしている。

(2)スフォルツァ騎馬像

レオナルドがフィレンツェからミラノに移り、ミラノ公ロドヴィコの依頼により製作を試みた。騎馬像の馬の頭部から脚の先の長さが7.2メートルでしかも馬はレヴァードの姿勢(馬の両前肢を地上に上げて馬体を後肢のみで支える)をとっているというものである。青銅製でその鋳造に必要な青銅の重さは72.5トンという巨大なものであった。1490年ごろの試みである。レオナルドより依頼主が計画を断念してしまったという。強化プラスチックによる現代版「スフォルツァ騎馬像」。

(3)トリヴルツィオ騎馬像

1510年ころである。素描が残っている。その画像はここで。現存しないし製作したのかも不明。

 

ウマはホース(33):テネシー・ウォーカー

もう一つ北米のウマを紹介する。テネシー・ウォーカー(Tennessee Walker)である。画像はここ

「このウマに一度のれば、このウマを必ず欲しくなる」と言われている。19世紀に開発された北米産のウマで独特な歩様で走る。それらの歩様は「揺れがない」もので、普通の常歩(flat walk)、四節で速く走る常歩(running walk)(この四節の間に時々頭を下げ、歯を鳴らす)、そして,ロッキングチェアに座っているようなスムーズな駈歩(canter)である。最も穏当なウマであるといわれている。

後肢が馬体から大きく後ろに出ているのが体型上の特徴である。