多様なポニーたち(7):コネマラ

今回のウマはアイルランドのコネマラ(Connemara)。画像はここ。このウマは以前紹介したことがある。

このウマはアイルランド西海岸を原産地として、アイルランド唯一の在来種である。現在では原産地を離れた地と同様にヨーロッパ中で飼育されている。このウマは華麗な演技や素晴らしい障害飛越をする最初のポニーであることから山岳や荒地系のポニーの中では最も知れ渡っているウマである。年長の子どもや軽量のおとなを乗せるには充分の大きさがある。

多様なポニーたち(6):コニック

今回もポーランドのウマでコニック(Konik)。画像はここ

コニックもポーランドを基盤とするポニーである。名前は「小さい馬」という意味であり、13ハンヅ(130cm)を越えるものは稀であるが、実際ポニーというよりホースである。

コニックは頑丈な原始的なウマであるターパンの数少ない直接的な後裔である。コニックはその祖先が持っていた頑丈さや万能向きの特徴を保持していが、気性は穏やかで非常に扱いやすい。そして僅かな食料で重労働に耐えることができる。農業の全ての作業や運搬そして馬車の牽引に使われている。

多様なポニーたち(5):フツル

今回は南部ポーランドのポニーであるフツル(Huçul)。画像はここ

このポーランドのフツルは作業用のウマの典型である。南部ポーランドやカルパチア山地の農村で標準的な農作業のウマである。主に軽い農作業で牽引作業に使われたが、荷駄を積んで困難な山道を運ぶことにも使われた。

この品種はポーランドに生息していたターパン(Tarpan)の後裔と見なせる。フツルの原産は数千年の間似たようなポニーが生息していたカルパチア山脈由来である。ある時点で東方の影響があった可能性がある。品質管理されている現生ポニーはその後はっきりと定義された。

フツルは強力、頑丈、繊細そして扱いやすい。

多様なポニーたち(4):ゴトランド

今回のポニーはゴトランド(Gotland)、スエーデンのウマである。画像はここ

スエーデン・ゴトランド(Kogruss pony 「森の中の小さい馬」)はスカンジナビアの品種中では最古もので祖先の特徴を多く残している。嘗てはバルト海のゴトランド島やLojstaの森で半野生の状態で生息していた。

ゴトランド島が発祥の地で、おそらく石器時代から生息してたと思われる。ターパン(Tarpan)の後裔と考えられているがアラブの血も入っている。

嘗ては農耕馬として使われていたが、現在では乗用馬として特に障害飛越や速歩競技で活躍している。常歩や速歩は力強いが駈歩はあまり印象的にはない。

多様なポニーたち(3):ノルウエー・フィヨルド

今回のポニーはノルウエー・フィヨルド(Norwegian Fjord)。画像はここ

背中の模様と弓のようにカーブした後肢を持ったこの魅惑的なノルウエー・フィヨルドは外観的にはその祖先である原始的なモンゴルウマまたはアジア野生ウマに最も近い。ヴァイキング以来粗いたてがみを中央の黒い髪が他に対して立つように整髪するのが伝統になっている。

強力で小型のノルウエー・フィヨルドは万能な動物である。山野の農地ではトラクターの役割の担っている。急な斜面の耕作や荷駄、そして馬車や騎乗に向いている。

多様なポニーたち(2):アイスアンド・ホース

今回はアイスランド・ホース(Icelandic Horse)。画像はここ

大きさはポニーにも拘わらずホースとして扱われている。そしてこのウマはアイスランドの生き物のなかで特別な位置を占めている。アイスランドにウマが導入されたのは紀元800年から935年の間にノース人のロング・ボートによってである。

このウマは半野生状態に置かれていて厳しい条件下であっても一年中野外で生活できる。ウマたちは様々な作業に使われていて、食肉にもなる。またアイスランドの伝統的なスポーツ活動にとぅて不可欠なものである。基本的な歩様は勿論、アイスランド・ホースは側対歩(skeid)や有名な高速常歩(tölt)で動く。

 

多様なポニーたち(1):ハフリンガー

ポニーの世界も多様だ。最初はハフリンガー(Haflinger)。画像はここ

オーストリアのチロル地方で生育されるハフリンガーはその独特の栗毛の体色と付随する亜麻色のたてがみや尾が特徴である。主たる生産地はオーストリアのEtschlander山脈中のハフリンガー村であり、それ故にこの馬は「エーデルワイス・ポニー」と呼ばれる。強靭でアルプスの急斜面での仕事に向いている。40歳でも健康で活動的であり得る。

わがクラブにもハフリンガーが一頭いる。名前は「マロンブラウン」。栗毛で亜麻色の尾を持っている。写真を載せておく:

砂あびをするマロンブラウン
砂あびをするマロンブラウン
マロンブラウン
マロンブラウンの前髪
マロンブラウン
マロンブラウンの尾

ウマの家畜化は幸運の産物?(4)

このシリーズでウマの家畜化について考えているが、今回はこの家畜化が何時ごろ起きたのであろうか?という問題である。

従来から遺跡から発掘されるウマの骨の統計的な性質(大きさのばらつき)からこの問題に接近しようとする研究があった。

大きさのばらつきによる方法は二つの仮定に立脚している:(1)家畜は保護されているので家畜化された動物の集団は大きさのばらつきがより大きくなり。おとなまで生き残った状態のばらつきもより大きくなる。つまり、変動の幅がより大きな集団になる。(2)囲い、運動の制限そして食料の制限は平均値を減少させるので、家畜化された動物の集団の大きさの平均値は全体として減少する。肢の骨の測定値(主として骨頭や骨幹の幅)がこのパターンの違いの検出するために用いられる。この方法はウシやヒツジの肢の骨では成功しているように思われる。つまり大きさのばらつきの増大そして大きさの平均値の減少は家畜化されたウシやヒツジを同定しているように見える。ウマの一例を示す。

家畜化されたウマを同定するための大きさのばらつき法。縦のひげ付きボックスは左に最古の遺跡(旧石器時代)を右に最も新らしい遺跡(後期青銅時代)の順序で並べた13個所の考古学遺跡から得られたウマの肢の骨の厚さを示している。ひげはサンプルの最大値と最小値を示していてサンプルの大きさによって影響を受けるので集団のばらつきとしては信頼性のないものである。白いボックスは平均からの二つの標準偏差でばらつきとしては信頼性が高く通常はこちらを使って議論する。バー10のばらつきが増大したことからウマの家畜化が始まった証拠と見なされている。

これによればウマの家畜化は紀元前2500年ごろ起きたと推定される。

 

重量級のウマたち(8):クライズデール

重量級のウマたちの最終回はスコットランド原産のウマ、クライズデール。画像はここ

原産はスコットランドのクライズ渓谷。公爵HamiltonやLochlyochのJohn Patersonによってフランダースの牡ウマが導入された。その目的は在来の小型ウマのサイズを増やすことであった。シャイヤーの血も同じ路線で用いられ、シャイヤーとクライズデールは同じ品種の二つの亜種であろうさえ言われた。しかし19世紀までには独自の品種としての生産が確立した。

シャイヤーより軽量なことからクライズデールは非常に活発な側対歩が顕著である。農作業に持ちられているが、この多芸なウマは都会の重労働に向いている。

重量級のウマたち(7):ブラバント

今回はベルギーの重量馬であるブラバント(Brabant)、 race de trait Belge。画像はここ(カナダのブラバント)

名前の由来は主たる生産地である中部ベルギーの地域ブラバントによる。もはや地元以外ではよく知られてはいないが、重量馬の生産では重要なウマであり、米国では強い人気がある。

この品種は非常に古く森林馬または氷河時代のウマ(Equus prezewalski silvaticus)まで遡ると考えられている。この種のウマはローマ帝国にも知られており、11世紀から16世紀にかけて重量級の軍馬生産がブラバントやフランダースで盛んであった。