東洋の星学(2):北極紫微大帝

北極星を神格化したものである。

夜空を眺めて北方に動かない一つの星を見つけそれを中心として他の多くの星が整然と動いていることを古代の中国の人々が見つけた。そして、「天人感応」の説によってその星を人間界の天子と考えた。

『史記』の「天官書」の冒頭では、北極星は「太一(たいいつ)」(の中心に位置する星官)の居場所で、その脇の三星が三公、うしろの四星が正妃と後宮、まわりの十二星が藩臣としている。

紫微とは天帝の在所の意味。星や自然界を統御する極めて高い地位にある神である。

誕生日は旧暦四月十八日で、その日には降福除災を祈る人が多いという。

 

東洋の星学(1):道教の星の神々

道教の神々」(窪徳忠著)によれば、道教に現れる星の神々は

  • 星科(総星)
  • 太歳
  • 太乙
  • 火徳星君
  • 文昌帝君(奎星・文奎星)
  • 北極星君
  • 玄天紫微大帝
  • 玄武
  • 真武
  • 南極老人
  • 斗母
  • 斗星辰
  • 三台星

次回から多少詳しく見ることにしよう。

土御門神道:占星術の日本的変容

「星の宗教」(吉田光邦著)を読んでいたら以下のような叙述に出会った。

「慶長六年正月、(安倍)久脩が国家鎮護、玉体安穏のため泰山府君蔡をおこなった。ついで八年二月、こんどは徳川家康のために天曹地府蔡をおこなった」

安倍久脩は中世の陰陽師安倍晴明の子孫で絶えていた陰陽道の復興と再組織化をはかった人物である。「道教の神々」(窪徳忠著)によれば、泰山府君は泰山を神格化したものである。泰山府君、天曹、地府は中国占星術に出てくる星である。

安倍晴明は中世の陰陽寮の長官であり、陰陽寮は律令制のなかで「占い」などの非合理的な色彩の強い職制であった。久脩の時代になって、国家鎮護、玉体安穏といった密教が唱えるような目的を掲げるようになり、宗教的な色彩を持ち始めた。この流れが神道に繋がった。それが土御門神道(つちみかどしんとう)となった。

太陽は運動している

銀河の中心に対して太陽はほぼ回転運動をしている。その速度は220km/sであるので一昼夜で進む距離は1900万8000kmである。太陽の直径は139万2700 kmであるので一昼夜で約十四歩である。かなりのヨチヨチ歩きであるが、司馬江漢は納得するかな?

司馬江漢の宇宙観:大きさの認識

司馬江漢の「和蘭天説」では地球から惑星までの距離、ひいては太陽系の大きさ、さらに惑星の大きさに詳しく言及している。このことに興味がある。大きさといった比較的地味な量に関心を持っていたことは彼自身がその大きさの「天文学的な大きさ」に感銘したからなのであろう。

「和蘭天説」で距離・大きさに言及しているところを拾いだしてみる。

「九天の図」の説明で

  • その次を宗動天といい、地をはなるること日本の里法にて八万零九百十七万三千三百六十二里半(32億3669万3450km)。
  • その次を恒星天(二十八宿および北辰)、地をはなるること四万零三百四十六万二千三百零四分ノ三里(16億1384万9203km)。
  • その次を土星天、地をはなるること二万五千七百二十一万三千二百零五里(10億2885万2820km)。
  • その次を木星天、地をはなるること一万五千八百四十六万一千九百八十里(6億3384万7920km)。
  • その次を火星天、地をはなるること三千四百十六万五千一百二十五里(1億3666万0500km)。
  • その次を日輪天、地をはなるること三千零零六万九千六百十二里半(1億2027万8450km)。
  • その次を金星天、地をはなるること三百万零零八百五十一里四分ノ一(1200万3405km)。
  • その次を水星天、地をはなるること一百二十四万八千四百二十七里半(499万3708km)。

と地球からの距離を列挙している。宗動天や恒星天の距離といった不思議な距離が出てきるが、外惑星までの距離は典拠があるらしい値である。

続いて惑星の大きさについて記している。注目すべきは日輪の大きさで

  • 日輪の大なること二十二万九千五百零一里零九(51万8004km)

このような距離や大きさへの拘りは「地道説」の擁護にも役立っている。

江漢はこんなこと言っている:

仮に太陽が地球の周りを回転しているとすると

「予考える、太陽の大なること二十万九千五百一里余なり、日輪天の一度は三十五万二千五百八十六里三二九なり、太陽の一跨ぎに足らず、たとえば人の五尺の身を以って昼夜歩けば二十一里をへる」

と述べ、太陽の動きの不自然さを指摘している。面白い。

 

司馬江漢著 「和蘭天説 」再論

司馬江漢著 「和蘭天説 (Oranda tensetsu)」は寛政8年 (1796)の出阪である。この本の内容の種本は

天経或問游子六著:享保十五年(1730)
太陽窮理了解説本木良永訳 寛政四年(1792)

であるといわれている。特に後者は英ジョージ・アダムスの天文書 (英語版 1766、蘭語版 1770) を和訳したものである。太陽系の大きさに関心を持ち、実測をしたカッシーニの観測は1671年であるので、実物は読んでいないが、このアダムスの本には地動説は勿論この観測結果による太陽系の大きさの言及があると思われる。

和蘭天説には以下のような件がある:

「日月五星および恒星は、地上より仰望ば天にかかりてありと雖も、天地の大いなりを究めるれば、太陽月地と併せて称するにたらず、地も一つの星なり」

つまり、宇宙が広大であることがわかれば、地球も単に一つの星であることが分るという意味である。そして地球・火星の距離は

三千四百二十六万五千一百二十五里

と記している。一里を4kmとするとこれは1億3706万kmになる。実に「天文学的な距離」である。司馬江漢は宇宙の広大さを充分に認識していたと思われる。

また、凡例で「と天文学三道あり、一は星学(セイガク)、二は暦算学、三は窮理学なり」と記している。

この星学は占星術(Astrology)ことか?(明治の初めに南校で始まった「星学」は物理天文学であるが)、暦算学(Almanac),窮理学(Astronomy)の三分野を天文学の構成要素としている。ヨーロッパでも十七世紀後半まで占星術は払拭されない。

ウマに圧倒された:石器時代の芸術家たち

雑誌NEW SCIENTISTをウマで検索してみた。今日のテーマが「ウマに圧倒された:石器時代の芸術家たち」がトップで現れた。

ヨーロッパでは石器時代の 洞窟壁画が数多く見つかっている。そこに描かれた動物はウシ、ヒツジ、ウマなどであるが、その中でウマは圧倒的な大きさと存在感で描かれていることが多い。理由は不明。

1990年代以降壁画のデータベースが整理されて、現在では4700以上の壁画が登録されている由。

壁画の一例を示す:

大変に印象的なウマたちである。31000年まえの Chauvet 洞窟の壁画であるある。

プルジェヴァリスキー・ホース:その後

プルジェヴァリスキー・ホースについてはこのブログの「ウマはホース」のシリーズの最初に取り上げた。西暦1900年ごろモンゴルで発見されてから頭数が減少して1960年代にはモンゴルからいなくなってしまった。

その後動物園や個人所有のプルジェヴァリスキー・ホースを生まれ故郷のモンゴルに戻すプロジェクトができ、特にモンゴル政府とドイツ政府の協力でこのプロジェクトは実績をあげ、2004年の時点で約400頭のプルジェヴァリスキー・ホースがモンゴルの草原を走っている。

もう一度このウマの画像をここで。

不規則変光星ベテルギウスの減光

オリオン座の主星であるベテルギウスが著しい減光をしていて、星の末期症状にありこれから超新星爆発に繋がるのではないかという話題が散見している。

元々ベテルギウスは赤色超巨星の不規則な脈動変光星である。表面温度は3600度程度で太陽(5500度)と比較するとずっと低温であるが、光度は太陽の90000倍と実に明るく、大きさは太陽の1000倍と大きな恒星で、ブヨブヨした恒星である。

この星は通常400日程度の不規則な変光を繰り返している。変光の幅は小さいときもあれば大きなときもあるといった具合で、大きな幅のときは1等級程度になる。この通常の変光は星の内部の核融合は一定で発す光も一定であるが、その光が表面に達すまでにさまさまな機構で強弱を受けることで起こる。

今回の減光はかなりの幅である。観測テータはここにある。1等級近い減光であるが、ごく最近では増光に転じているので、多分これは通常の変光現象の1つのエピソードであったのであろう。

長期に亘る変光観測のデータも興味あるものである。一例がここにある。

 

ミツバチの「8の字」ダンスは面白い(2)

昨日のブログでミツバチの「8の字」ダンスについて書いた。太陽と餌場のなす角度とダンスの胴震いをしながら進む方向との対応関係を以下のように例を上げて説明した。

例をあげる。巣面にかけ時計がありその面上でミツバチがダンスをしていると思ってみよう。

仮に太陽が南にあり、餌場も南あるとするとミツバチはこのかけ時計の12時の方向に向かって胴震いをしながら進む。反対に餌場が北にあるとすると、ミツバチはこのかけ時計の6時の方向に向かって進む。餌場が西の方向では、ミツバチはこのかけ時計の3時の方向に向かって進む。餌場が東の方向ならば、ミツバチは9時の方向に向かって進む。

この通りであるが、角度をかけ時計の場合は12時から時計回りに測るとすると、3時は90度で、9時は270度となる。一方太陽と餌場のなす角度を南にある太陽から時計回りに測ると西は90度、東は270度になる。これはミツバチが示した事実である。

しかし、太陽と餌場のなす角度を南にある太陽から反時計回り測ると西は270度、東は90度になる。これは事実に反する。

「右利き」「左利き」は謂わば好みの問題であるが、ここの「時計回り対応」と「反時計回り対応」は話し手と聞き手のコミュニケーションの問題を含んでいる。例えば、話し手が「時計回り対応」を取っていて、聞き手が「反時計回り対応」をとっているとすると、聞き手のミツバチは餌場と反対方向に飛んでいってしまう。だからこの対応関係はミツバチの世界ではユニヴァーサルであるはずだ。なぜ「時計回り対応」を採用したのであろうか?