庚申(こうしん)道というちょっと変わった名前の街道がある。
狸の焼き物で有名は信楽(しがらき)焼の信楽を含むように南北に走っている街道である。猿は庚申の使いで、何も悪いことは報告しないというポーズの三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)であるが、この街道沿いにある寺(庚申山広徳寺)には大きな石柱のてっぺんにこの三猿が彫られている。この猿が街道の名前の起源。
今朝の新聞に表題のような記事があった。
我が家の畑のブルーベリーにもハチが来ていた。
新聞記事はこの花に集まるハチの話である。スイス工科大学のフォテイニ・バスカリデゥ博士が偶然に見つけたマルハナバチの行動である。マルハナバチが植物の葉を噛んでることを見つけ、その植物の開花が他より早くなるということだ。これは実験室にいたハチであったが野生のマルハナバチにも見られる。
ヒトの手で植物の葉を傷つけても何も変化が見られないことから、博士はマルハナバチが葉を噛むときに何らかの化学物質を放出しているのかもしれないとコメントしている。
今朝の新聞記事のタイトルである。
ネコを興奮させるイヌハッカ(キャットニップ)の誘引成分はイリドイドという化学物質の一種である「ネペクラクトン」と呼ばれている物質たそうである。ネコの3分の2はキャットニップをこすったり触ったりして興奮状態になる(因みに我が家で以前に飼っていたネコは無反応)。
記事の内容は米フロリダ自然史博物館の研究グループがキャットニップが持つこの成分の由来をこの成分を持たないヤナギハッカのゲノムを比較するなどして祖先の酵素と遺伝子を調べたというもの。
その結果、6500万~5500万年前ごろ祖先の植物がイリドイドを作る能力を失ってしまったが、2000万年ごろキャットニップは再びイリドイドを作る能力を復活させたということが分った。
空白の時代(5500万年前~2000万年前)ではイリドイドを持つ必要のない環境であったのかもしれない。
今朝の新聞記事のタイトルである。
イセエビは頭のところから突き出ている長いひげ(第2触覚)の根元にある器官から「キイキイ」という音を出す。これはイセエビ同士のコミュニケーションに使われている。この音がどの位遠くまで届くのかフランスの研究者たちが調べた。
大きさが異なる24匹のヨーロッパイセエビを使い、イセエビから100mの距離のところまで8個の水中マイクを設置し音をを収録した(多分大きさの異なるイセエビは異なった周波数の「キイキイ」音を出すので個体を区別できたのだろう)。解析の結果、2.6cmと小さいイセエビは10mしか届かない、一方13.5cmの大型のイセエビは100mまで届くことが分った。
実験は浅瀬の雑音の多い環境だったこととイセエビが本来生息する環境を比較すると本来生息する環境では大きなイセエビの「キイキイ」音は3キロメートル程度は伝播すると研究者たちは結論した。
ダヴィンチ・コードの中で言葉遊びがよく出てくる。ここではそんな言葉遊びの一つであるアナグラムを取り上げる。
アナグラムは一つの意味のある単語または一つの語句を構成している文字を入れ替えることによって意味のある別な単語または語句を生成する遊びである。
簡単な例
‘silent’(静かな)—-> ‘listen’(聞く)
英単語集(11万個)を探索して得られるアナグラムで8文字からなる単語を検索してみると最大個数は7にもなる単語がある:
‘angriest’, ‘astringe’, ‘ganister’, ‘gantries’, ‘granites’, ‘ingrates’, ‘rangiest’
表題の語句のアナグラムは:
‘O, Draconian devil. Oh, lame saint’(
ああ、残酷な悪魔だ。ああ、役に立たぬ聖人だ)
‘Leonardo da Vinci The Mona Lisa’
となる。
今日の新聞の記事のタイトルである。
5万年前ごろにネアンデルタール人が利用した洞窟から発掘したリソワール(動物の皮をなめす使われていた道具)の材質を調べて新たな知見が見つかったという話である。
研究者たちはこのリソワールの残っていた蛋白質のコラーゲンを分析し、このコラーゲンがヨーロッパバイソンやオーロックス由来であることを見つけ、このリソワールはこれらの動物の肋骨から作ったものであると結論した。一方同じ地層で見つかった動物の骨は圧倒的にトナカイのものであった。
これらの事実からネアンデルタール人は道具をつくるときにかなり材料を吟味していたのではないかということが示唆される。
「エッダ」(17世紀に発見された北欧神話について語られた写本。9世紀から13世紀にかけて成立したとされている、古ノルド語で書かれた歌謡集(詩群)である。)の中でも質問競技は主題の一つである。
「ヴァフスルーズニルの歌」の中では主神オージンは天地創成時代についての知識の持ち主である巨人ヴァフスルーズニルの知恵と自分の知恵との優劣を競っている。
例えば
「オージンが『最初に生まれた巨人族は一体誰なのか』と質問した時、ヴァフスルーズニルは『はるか昔に、巨人ベルゲルミルが生まれ、その力ある巨人はスルードゲルミルの息子で、アウルゲルミルの孫なのである』と答えた。」
という調子である。
ホイジンガはこれらははるか過去の原始的謎解き競技のスタイルを引き継いでいると述べている。
今日の新聞の記事のタイトルである。
オオムギをつかったビールつくりはメソポタミアなどで6000年前ごろから行われていたという記録があるがヨーロッパ(古ヨーロッパ)でも6000年まえごろから麦芽飲料が飲まれていたという話である。
大麦を発芽させると大麦の粒の最外層のアリューロン層細胞膜が薄くなる。この証拠を遺跡から発掘された陶器に付いていた穀物でも見つけた。これによって6000年前の古ヨーロッパでも麦芽が作られていた。
「われ、汝に大地の尽きるさいはてを問わん。われ、汝に大地の臍のいづくに在りやを問わん。われ、汝に雄々しき種馬の種につき問わん。われ、汝に弁論の最高の場を問わん。」
これはリグ・ヴェーダ讃歌(紀元前1200年ごろの最古のヴェーダ文献。バラモン教の最高聖典で1018の歌からなる)の第一巻164歌である。ホイジンガ著「ホモ・ルーテンス」ではこれを祭僧(バラモン)たちが祭儀の際におこなった「知恵比べ」がヴェーダの詩句として残されたものだとしている。
これは形式からも問いの内容からも禅宗の僧が行っている「禅問答」に大変に似ている。
太古の人にとっては、何かを知っているということはそれ自体魔力であった。彼にとってはどんな知識でもことごとく世界秩序そのものと直接の関係があるからである。それ故に、祭祀におけるあそびとして力くらべなどの競技と同じく知識の競技が行われた。
ホイジンガ著「ホモ・ルーテンス」では祭祀の重要な一部であった「謎解きあそび」を古代インドのヴェータ文学から説く解す。
日本の祭りでも綱引きや相撲が祭礼の重要な一部となっている競技の例が多い。祭礼における「言葉あそび」としては「祭文(さいもん)」がある。